電車で勇気を出して声を上げたが逆効果になった話


電車で立っていたところ混雑し始め、気がつけば三人の力士達に周囲を包囲されていた。

横を見ると私の他にサラリーマンも共に力士達に呑まれていた。
力士達は申し訳ないとこちらを気遣ってくれていたが、むしろ壁になってくれているお陰である程度空間が保たれ快適であった。

しかし、近くにいた命知らずのオヤジが
「アイツらスペース取りやがって」と力士達を糾弾し始めた。
何たる物言いだと思い、私は力士達は悪くないと一言添えたが、「お相撲さん」と「サラリーマン」という目前の視覚情報が混ざり合い
「オスマンさんは何も悪くない」
と、謎の外国人オスマンさんが誕生した。

横のサラリーマンが、今しがた付けたばかりのイヤホンをそっと耳から外した。
オスマンさんの登場によって周囲の意識が一斉にこちらに集中した。

一歩間違えばこの心優しき力士達に勝手に「オスマンさん」とあだ名を付けている無礼者と誤解されかねぬ事態である。
それだけは回避したいところであり、オスマンさんと力士が私の中で繋がりを持っていない事を証明するべく改めて言い直したが

「オスマンさんは、お相撲さんは悪くないと思ってるひょ」

と、力士への仇返しは回避されたが、自分の事をオスマンさんだと思っている少々不安がよぎる人物像が浮き彫りとなった。
しかも、謎のキャラ付けがなされたかのように語尾の様子もおかしい。
しかし、乗客達はおかしいのは私の語尾ではなく私の頭だと思っている。

サラリーマンは、力士に囲まれているだけでも奇抜な体験であるというのに、更に自分をオスマンさんだと思い込んでいる語尾の癖が強めの者まで現れ、逃げ場を失いこちらに背を向けた。
心なしか肩が震えている。

そんな最中、
「何だお前のその名前……」
と、先程の命知らずなオヤジの注目が力士から私へと移行された。
しかしあまりに急に話しかけられた為
「自分はオスマンさん違いますけど?」
と突発的に私の僅かしかない正直な部分が露呈した。

いよいよ訳が分からなくなってしまった。
「じゃあ、お前誰なんだよ……」
と、オヤジは小さく呟いた。
周りもこの時ばかりはオヤジに賛同したに違いない。
かくいう私もオヤジと同じ心情である。

行き場を無くした「オスマンさん」が殺伐とした車両で迷子である。
サラリーマンの方から「もうやめて……」と震える小さな声が聞こえた。
オスマンさんどころか、自分自身をも見失う結果となった。

オヤジの至極真っ当な呟きに、力士達も震えながら俯いた。
何の助けにもなれず大変申し訳ない。

一度手放したオスマンの名はもう戻らない。
「やはり私がオスマンですひょ」などと言ったところで、どこか軽薄さを感じさせる語尾によって乗客の神経が逆撫でされるだけでなく、更に私に精神疾患の疑いが上乗せされるだけである。
私は黙って満面の笑みで誤魔化した。
オスマンスマイルの効果は抜群であり、オヤジもそれ以上は何も言葉を発しなかった。
それどころか、こちらが見つめても目すら合わなくなった。

皆の頭にオスマンさんという謎の外国人だけを残し電車は走行を続けた。
しかし快速急行の為、我々は狭い車内で多くの時間を共に過ごす事となった。

【追記】
昔、授業で「気になる未読の本のタイトルとあらすじのみを書き、どこに惹かれたのかをレポートにまとめ提出せよ」という課題があった。

同じ授業を取っている顔しか知らぬ者が
「俺これから女と遊びいくから」
と、隣にいた冴えぬ私に惜しみなく充実した学生生活を見せつけたうえ、課題の提出を押し付けるという血も涙もない傍若無人ぶりを発揮した。
腹の虫が治らぬ私は、彼の選んだ本のタイトルの「運命の騎士」を
「運命の力士」
に書き換え、本文中の「騎士」の部分もすべからく力士で上書きし提出した事のバチが当たったのだろうか。
あのような者は両国の風を感じるが良い。
しかし、カルマが巡ってくるのを感じた。

因みに私が好きな力士は維新力である。
引退し大分経った後に知ったが、彼の戦い方や技は大変惚れ惚れする。


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