窓を開けたら隣の住人とトラブルが起きて人生が終わりかけた話

人というものは暇な時間が長くあると碌な事をしないものである。

ある日、暇を持て余した私はツクツクボウシの鳴き声に合わせ左右に腰を振っていた。

鳴き出しの「ツクツクボーシ」から始まり、「ツクジーア」とテンポが高まるにつれ私の振りもその速度を上げ、フィナーレの「アアアアアァァ!」のところで振動しながら両手を上空へと昇らせた。

この一連の動きを鳴き出す度に繰り返し、何度目かのフィナーレに震えている最中、ふと横を見ると隣に住んでいる常に厳しい顔をしているおじさんと網戸越しに目があった。
周囲への警戒を怠った末路である。
両者の間に「アアアアアアァァ」とツクツクボウシの鳴き声が響いた。
夏の終わりと共に社会的に終わる音がした。
私も許されるならばアアアアアァァと叫びたい心持ちであった。

私は相手を見つめながらゆっくりと上げていた両手を下ろした。
ハリウッド映画で敵に銃口を向けられ、警戒しながら武器を置く主人公のような緊張感であった。
私はこの状況を少しでも中和しようと

「夏の終わりの風を感じますね」

と、儚げにおじさんに語りかけた。
実際感じているのは夏の終わりの風などではなく私の終わりであるが、ここは気を確かに持たなければならない。
先程までツクツクボウシに合わせ左右に揺れていた奴から出たとは思えぬ詩的な発言に、おじさんの顔からは普段の眉間の皺は消え、その瞳は当惑の色をみせた。

何かせめてもう一言、気の利いた事でも言おうと口を開こうとしたところ、再びツクツクボウシが鳴き出した。
瞬間、音に反応し若干腰が振れてしまった。
鳴き出す度に瞬時に立ち上がり腰を振り続けていた後遺症が出てしまったのだろう。
不気味な隣人としてのその存在を知らしめてしまった。
もしツクツクボウシがこの動きで突如鳴き出したら、全国の虫取り少年は悲鳴を上げることだろう。

では、立て込んでおりますので…と、角が立たぬよう定型文のような挨拶を放ち退場したが、冷静に考えたら蝉声に合わせ揺れている者が何に立て込んでいるというのだろうか。
左右に腰を振る事に情熱を傾ける蝉寄りの存在と思われていないかが不安である。
引っ越してから今まで作り上げてきた私の慎ましいイメージは、この夏崩れ去った。
しかし、隣人とはいえ、そんなに顔を合わせる機会がない事が唯一の救いであった。

次の日、回覧板が回ってきた。
運命とは時に無慈悲である。
早速お隣と顔を合わせる日が来てしまった。
どうかおじさんが出てきませんようにと願いながらインターホンを押すと、願い虚しくおじさんが出てきた。
おじさんも、まさか昨日のツクツクボウシが回覧板を片手に玄関先に佇んでいるとは思わなかった事であろう。
反射的に虫取り網で叩かれなかっただけでも感謝した方が良い。

すると、おじさんの後ろから小学生くらいの男の子が顔を出した。
そして、彼は「ツクツクボウシ♪」と言いながら腰を左右に振り始めた。
まさか……と、思いおじさんの顔を見ると、おじさんはニヤリと笑った。

「孫なんだ」

おじさんは孫にツクツクボウシの舞いを伝授していた。

その後、私はその孫と仲良くなり、網戸越しに鳴き声に合わせ共に踊り狂ったりした。
ある日の夕方、おじさんの家から

「ツクツクボウシはご飯の後にしなさい」

とおばさんに叱られている声が聞こえた。
おじさんと孫、どちらが怒られていたのだろうか。


しかし、その子の夏の締めくくりが
「隣の謎住人とツクツクボウシに合わせ左右に揺れた」
となってしまった。

宿題を憎んでやまない彼の夏休みの日記の最終局面は、ツクツクボウシばかりで埋め尽くされた。
水鉄砲遊びもしたのに、そのインパクトはツクツクボウシが勝ってしまった。

ないとは思うが彼の担任がもしこれを奇跡的に見る事があれば、絵に描かれた彼の隣にいる蝉のよう巨大な生き物は私であり、心配いらない事をお伝えしておきたい。

しかし、彼のツクツクボウシの舞いへの情熱は本物である。
そこはどうかご理解頂けると嬉しい。


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