電車で頭に新聞を乗せられ黙って耐えていたら恐ろしい目にあった話

電車に乗っていると、オヤジが新聞を大々的に広げ、私の頭がその台座代わりとなった。

子供の頃に新聞紙で兜を作った事を思い出しつつ前髪に紙の温もりを感じていると、私の鼻腔が花粉にくすぐられた。
必死に耐えていたが電車の揺れにより私はバランスを崩し、その瞬間くしゃみが大音量で放たれてしまった。
しかも、喉で直前まで抵抗した為か
「ファビュラス!!」
という、叶姉妹でしかしなさそうなくしゃみを発しながら、私は顔面から突っ込みオヤジの新聞を突き破った。

凶暴なひょっこりはんの様になってしまった。
新聞という一枚の壁が破られた事により、今私とオヤジの視線が交り合った。

こちらからすればバランスを崩したが故の事故であるが、オヤジからすれば私は「ファビュラス!(訳:素敵!)」などと称賛しながら人様の新聞から顔を飛び出させる奇抜な不審者である。
どう考えても正気の沙汰ではない。
私がオヤジならば確実に恐怖する事だろう。

オヤジは先程までは新聞の有益な情報を眺めていたというのに、今や無益な情報しかない私の顔を眺めている。
今にしてこの様に思い返せば、せめてもの償いに何かこちらも役立つ情報をオヤジに提供できれば良かったと思ったが、この状態で
「明日は雨」
などと言われたところで不気味さが加速するだけであるので、あの時何も思い浮かばないなくて本当に良かったと思う。

車両は静まり返った。
もしかしたら、このままではわざと破ったと誤解され、大変な揉め事に発展してしまうかもしれない。
そうなる前に誠心誠意を尽くし謝罪しようと決意すると、何故かオヤジが先に謝罪した。
その目は完全にヤバい奴を見る目であった。

私は、オヤジを筆頭に自分が周囲に本格派の不審者に認定されつつある事に気が付いた。
常人である事をアピールするという新たな意も含め「申し訳ありません」と丁寧に謝罪の意を表明しようとしたが、押し寄せるくしゃみに私の謝罪は掻き消され、オヤジの「すみません……」に対し
「モンブスンッ!」
という訳の分からぬ言語を繰り出した。
もはや常人をアピールするのは手遅れであった。
閉鎖された空間に会話の成立しない人間がいる恐怖が車両を包み込んだ。

オヤジも私も逃げ道は無かった。
停まらぬ快速急行、まばらではあるが決して空いていない車両、我々はただ見つめ合い時が経つのを待つ他に道は残されていなかった。

しかも、この時は気がついていなかったがオヤジが手を離した事により新聞がギリギリ私の首周りに付いたままであり、私は非常に不憫な佇まいとなっていた。
もはやこの状態で正常な精神状態ですなどと申したところで誰も納得はしない事だろう。

ドアが開いた瞬間、私はなるべく早く下車した。
念のためオヤジに「では、これで」と一声かけて去った。
新手の新聞泥棒である。
オヤジは私と目を合わさぬようにしていた。
私の一味だと思われたく無かったのだろう。

改札を出たあたりで、ようやく自分の佇まいに気がついた。


【追記】
あの最初のくしゃみは発音的には確かに「ファビュラス」であったが、音量的にはオヤジにありがちな鼓膜を激震させる爆音で発せられた。
叶姉妹の内側から薄らとオヤジが透けて見えている、そんなくしゃみであった。

本文では端折ったが、「ファビュラス!」を抑え込もうと尽力した結果
「ファモスッ!」
というウルトラマンにボコボコにされそうな怪獣の名前の様な響きを通過した。

しかし、おそらくスポーツ新聞だと思うが、昨今はあんなに薄い物なのだろうか。
オヤジが小分けにしていただけかもしれぬが、もっと何層にも重なっていれば新聞は私のファビュラスにも打ち勝てたかもしれない……そんな夢物語を想わずにはいられない。


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