刺身で危険な目にあった話


飲食店のバイトで客のオヤジに刺身を提供した際に「本当に新鮮なのか」と、強めにご質問頂いたので、お答えしたが
「こちらはもう死にたてです」
と、物騒な返答になってしまった。

鮮度を重視するタイプの北斗神拳の使い手のようになってしまった。
何故「おろしたてです」という正規ルートの言葉を辿れなかったのだろうか。

飲食店では不適切な発言であったと思い、すぐさま言い直したが
「さっきまでは、そこの水槽で元気に泳いでましたよ…」
と、今度は凄まじい悲壮感が漂った。

カウンターに座るサラリーマンの会話が先程から途絶えている。
周辺の客を巻き込み沈黙が訪れた。
心配してこちらに近づいてきた店長も、私の隣に来たは良いものの何も言わずに止まっている。

私のこの発言では信憑性が足りぬと思い、ちゃんと板前が責任を持って捌いた事を伝えたが
「あの人がやりました」
と、目撃証言のような言い草となり、店中の視線が板前に集中した。

板前が
「……えっ」
と言葉を漏らすと、店長が
「責めてやるなよ……」
と呟いた。
カウンターのサラリーマンは咳込み、お茶を飲もうとしたが思ったより熱かったのか、事態はより悪化の一途をたどった。

もはや、どうしたらよいか分からぬ。
とりあえず
「どうします?」
と、オヤジ本人に判断を委ねると
「俺にどうしろと……?」
と、オヤジも何故か混乱していた。

しかしながら、鮮度について訊ねるという事は、提供された刺身について何か気に掛かる点があったのだろう。
相手をなるべく刺激せぬ様に、穏やかに声をかけたが
「もしかして、生前に何か気掛かりな事が?」
と、「生前」の前に「魚の」という言葉が抜けた為に、オヤジが成仏しそこなった霊魂のようになった。
奇しくも、穏やかな声かけが僧侶を思わせ、オヤジ霊魂説は店長と板前の中で妙な現実味を帯びた。

このままでは客が成仏させられると思ったのだろう。
店長は「後は私が聞きますので」と言おうとしたが、発音しきれず
「私が……きぃ…きききぃ……」
と、不気味な鳴き声のようなものを発していた。

決して広くはない店内で、人を模った奇声を発する者と、生前の無念ついて訊ねてくる者に見つめられるという、不気味な現象が発生している。
オヤジもこれ以上深入りする事に身の危険を感じたのか
「いや、ちょっと気になっただけだから……」
と小さく呟き、我々から視線を逸らし黙った。

私は「気になっただけだから……」の後にも言葉が続くかもしれぬと、笑顔のままオヤジを見つめ待機していたが、その後オヤジの言葉が続く事はなかった。

板前の視線だけが、静かに私の背に注がれ続けていた。


【追記あり】
その後や店長の末路についての【追記】はこちらです。




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