PASMOを落としたら恐ろしい事になった話

自販機の下にPASMOを落とし、地面に這うようにして片手を入れ探っていると、近くに繋がれていた犬が私に砂をかけ始めた。

幸いにも地面は土ではなくコンクリートであった為 埋められず事なきを得た。
犬の爪のチャッチャッという小気味好い音を聴きながら探すなか、背後で自転車の止まる音がした。飲み物を買いたい者が現れたのかと思い、私は顔をそちらに向けた。
巡回中の警察官と目が合った。
警官の目には地面に這う不審な者と、それを必死に埋めようとしている あやしい犬が映っている。
こいつらは一体何をやっているのだろうかという表情を浮かべていた。
そして、声を掛けるべきか否かを葛藤しているのか、終始双方に無言の時が流れた。

怪しまれぬよう顔だけは冷静さを保ったが、私の片手は自販機の下を必死に探っている。
犬も引き続き私を埋める作業に勤しんでいる。

ふと警官の背後を、この近辺で不審者情報の殿堂入りを果たし回覧板に載らなくなったオヤジが訝しげな視線をこちらに向け通過していった。
あのオヤジだけには送られたくない眼差しであった。

ついに警官は沈黙を破り
「……ちょっと良いですか?」
と言葉を投げかけてきた。
私の脳内でイマジナリー不審者が職務質問の気配を感じとった。
こうなればPASMOを取り出し警官に見せた方が話が早いと判断し、私は警官に
「申し訳ありません、今立て込んでおりまして職質ならば少し待って頂けますか?」
と、願い出た。
この丁寧さならば事件性は無いと判断し去ってくれるかもしれぬと思ったが、妙に受け答えに手慣れているところが怪しいと思われたのか、警官はそのまま待機していた。
犬は砂をかける作業から私の顔を舐める作業へと移行していた。

このままでは自販機の下を弄る不審者となってしまう。
しかし、足でキャッチしようとした際に勢いあまりシュートされたPASMOは、指先に触れてはいるが、こちらに引き寄せるまでには至っていない。
せめて会話で繋ぎ不審者でない旨を示したいところであるが、犬が私の背中に登り始めた為事態はそれどころではなくなった。
しかし、犬の重みで圧がかかった遂かPASMOに指が届いた。
あとは引き出すだけである。
これまでの努力が実り、思わず笑みが溢れたが、自販機の下を弄る者の急な笑顔に警官は不気味な思いをした事だろう。
しかし、犬が退かなかった為そのポージングのまま私は固定された。
警官に頼み犬をどかしてもらおうとしたが、先程までのご機嫌な犬とは一転し警官に唸り始めた。
犬……お前……私を守ろうと……?
と思ったが、先程私を埋めようとしていた事を私はまだ忘れてはいない。
仕方がないので地を這うようにし、私は徐々に横へ移動を進めた。
その際に犬が変に落下し怪我などしないよう全力を注いだ為、身体と掌は地面に着き両腕の肘を立てる体勢となった。
バッタの下半分の部分に酷似している。
一体何を見せられているのだろうと警官も思った事だろう。
更に移動後に、犬が自主的に降りるのを誘発するべく身体を小刻みに振動させた為、警官はふとした瞬間に何らかの虫の脱皮を目撃してしまった時のような表情を浮かべていた。

その頃には警官の目はほぼ死んだ魚のようになっていたが、PASMOを見せれば万事解決である。
私は警官に拾った物を差し出した。
しかし、それはPASMOではなく写真付きのキャバクラの名刺であった。

おかげで不審者確定である。
私は自販機の下にキャバクラの名刺を落とした奴を許さない。

【追記】
その後誤解は無事に解けた。
しかし、警官との会話により
「ご協力有難うございました。
 ワンちゃんと一緒に帰っていいですよ」
「うちのワンちゃんではないですが」
「え?」
という、別ベクトルの誤解が生じていた。

その後に飼い主が現れ、警官と私に愛犬が囲まれている光景に
「うちの犬が何かしましたか!?」
と、大変慌てていた。
言わなければ良いものを
「大丈夫です。落とし物を拾おうとしたこの人の背中にちょっと乗っただけです」
と伝えられた為、飼い主は私の背中を確認し
「確かにうちの子の足跡…」
と、言っていた。
飼い主ともなれば、分かるものなのだろうか、私には分からない。
犬は大変可愛かった。


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