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【第42回】「地域を元気にする “おもしろい!” のつくりかた」

第一線で活躍しているクリエイターをゲストに迎え、クリエイティブのヒントを探るトークセミナーシリーズ「CREATORS FILE」。


第42回 クリエイティブナイト
ゲスト:貞末真吾氏(株式会社ブルースカイ代表取締役)
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福岡を中心にユーモアあふれる企画プロデュースを連発している株式会社ブルースカイ代表・貞末真吾さんにインタビューします。
「動くスナック アポロ号」や、泊まれる立ち飲み「STAND BY ME(スタンドバイミー)」など、関わる人と地域を元気にする企画の数々。貞末さんの発想法とプランニングの極意に迫ります。


生い立ちと家業

西澤:僕と貞末さんは長い付き合いですが、仕事をご一緒したことは一切ありません。最近はおもしろい企画をたくさん立ち上げられているので、その話をお聞きしたいと思います。いきなりですが、貞末さんの姿を見ると「短パン」「ビーサン」「日焼けしすぎ」、本当に突っ込みどころしかありませんね。

貞末:これについては後で説明しましょう(笑)。僕は鎌倉出身で、大学3年の頃に両親が『メーカーズシャツ鎌倉』というシャツ屋さんをはじめました。鎌倉駅から徒歩20分のコンビニエンスストアの2階という立地です。その時は「両親は気でも狂ったのか」と思いました。大学時代に打ち込んだことと言えば、毎日麻雀、パチンコ、アルバイト。典型的なイケてる大学生でした。

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西澤:ふふふ!

貞末:学生時代、アルバイト先の学習塾の塾長に「僕はどんな仕事が向いていますか」と聞いてみたら、「真吾君にとても向いている仕事がある」と教えてもらったのが、段ボールメーカーの最大手・レンゴー株式会社でした。僕は1年留年の末に、大学を5年で卒業してそこへ就職しました。働いて3カ月が経過するころ「俺、段ボールはあまり好きじゃないかも」と思ったのです。

西澤:そもそも、塾長は何を理由に勧めたのですか?

貞末:わかりません。僕は本当にやりたいことがなかったし、尊敬する塾長が言うなら間違いないと思ったのです。退職後は実家に戻るのも気まずいので、料理人の友達の家に転がり込みました。ところが、半年ほど経った頃に退職していたことが両親にバレて怒られました。その後、親の伝手で東京・青山に本社のある繊維系の商社・住金物産に入社しました。伊藤忠商事、丸紅、三菱商事に続く大手。当時流行していたDCブランドのOEMを手掛けていて、売上が2,000億円ほどでした。当時は超体育会系の会社で、朝6時に家を出て、終電で帰る日々でした。


父が営む「鎌倉シャツ」でクビに!

貞末:なんとか耐えながら4年ほど働いた頃、実家の「鎌倉シャツ」が東京の丸ビルに出店することになり、人手不足だったので仕事を手伝うようにと言われました。今こそ「両親や家族に貢献せねば」と実家に帰り、結果的には10年ほど働きました。商品企画や生地の企画、海外からのバイイングを経験したのち、最後は採用人事をメインで担当していました。それが、後々の僕にとってすごく良い経験になったと思っています。

西澤:なるほど。

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貞末:当時「鎌倉シャツ」は父が会長で、売上高は10億円ほどでした。2008年ごろに「ニューヨークに店を出したい」と父が言い出しましたが、1年経っても何も出店計画が進んでいませんでした。そこで「やる人がいないなら、俺がやる!」と、自らプロジェクトを立ち上げました。勝手にニューヨークに行って会社を作り、出店場所を決めました。帰国したら「勝手にやるな!」と怒られました。

西澤:本当に勝手に?

貞末:必要な決済はちゃんと取りましたが、基本的に勝手でした。経営陣は両親、姉、僕、弟というファミリービジネスでしたが、当時は僕がすべて採用・人事を担当していたので、会社のメンバーは全員僕が採用したスタッフです。つまり、社員の8割は僕の味方という状況でした。

西澤:ははは!

貞末:一方、家族内では僕の味方はいませんでした。おそらく僕の才能に嫉妬していたんだと思っています(笑)。その後、ニューヨークへの出店が正式に決まりました。さらに、ニューヨークの後はシンガポールとパリに出店したいという勝手なイメージがあったので、まずはシンガポールに出張したのです。ある時、シンガポールにあるナイトクラブで遊んでいると、実家から「役員会議がある」と連絡が入りました。この十何年で役員会議は一度もなかったのに、です。当時は一応常務でしたが「お前は何をやっているのか」と糾弾され、満場一致でクビになりました。

西澤:えぇっ!

貞末:僕は長男で、将来は社長になると思って仕事をしてきました。ニューヨーク移住に向けて、購入済だった武蔵小杉のタワーマンションを売り、マンハッタンで家も決めていました。それなのに、引越しの荷造りが終わった段階で急にクビです。いちばん困ったのは、COEDOビールの朝霧重治(あさぎりしげはる)社長を中心に企画してくれていた僕の壮行会です。壮行会当日、僕はみんなの前で「福岡に行ってきます」と発表しました。それから荷物の送り先をニューヨークから福岡へ変更し、福岡へ移り住みました。


\ 福岡移住や次々と企画される「おもしろいこと」続々! /
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