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vol.9 お客様への想いを背負ったものづくりをその先の未来へ【ユースキン】

経営者とブランディングデザイナー西澤明洋が対談し、ブランドの成長ストーリーを振り返りお届けするシリーズ「BRAND STORY」。


執筆・編集 加藤孝司
撮影 トヤマタクロウ

1955年に工業の街、川崎に瑞穂化学工業の名で創業したユースキン製薬株式会社。1968年に看板商品の名を冠した現社名に変更し、今年で創業から65年。「あなたの肌のために」という想いを原点に、顧客第一主義を貫いてきた。そんなユースキン製薬がリブランディングに着手したのが2016年。あらためて「あなたの肌のためにできることはないか」という想いを胸に、日本を代表するプロダクトデザイナーの一人である柴田文江氏のデザインによる新しい容器とともに、あらたなスタートを切った。ユースキン製薬 代表取締役 社長の野渡和義氏と柴田文江氏、エイトブランディングデザイン西澤明洋との鼎談をお送りする。


手荒れに効く黄色いハンドクリームのはじまり。

――長い歴史とブランド力もあり市場も確立しているユースキンが、なぜリブランディングすることに至ったのでしょうか?まずは、創業の経緯から教えてください。

野渡和義社長:農家の四男として生まれた私の父が創業した会社です。父の時代は、長男以外は家を出なければならないという風習でしたので、高等小学校に通いながら農業を手伝い、卒業後に横浜市鶴見区にある薬屋に奉公にでたそうです。その後、薬種商(今は登録販売者)を取得し、川崎市内で薬屋を開業しました。戦争をはさんで1955年に現本社の近くに「瑞穂化学工業」の名で立ち上げたのが、現在の会社の前身でした。川崎は工業地帯ですから、店売りする傍ら、周辺の工場が使う薬剤、試薬のご用聞きもしていました。そこで、水と油を混ぜる乳化技術を研究していた綿谷益次郎(わたや ますじろう)氏と出会いました。当時くみ取り式だった便所ではハエやウジがわくため、オリジナルの「ウジ殺し」を開発する相談をしたそうです。それがオリジナルの薬をつくるきっかけとなりました。

ーー長い歴史を感じますね。

野渡:1956年のある日の夕方、「手荒れがひどいので荒れ止めをください」とひとりのご婦人が来店されました。当時は、戦後間もないときでしたので、ベタつくだけであまり効果がないものしかありませんでした。それで父は、「手荒れによく効いて、それでいてベタベタしないクリームがあったら」と綿谷先生に相談に行きました。ほどなくして、白いクリームを提案いただきました。「これはいい」となったのですが、これに錠剤として当時流行していたビタミンB2を加えることを提案し、現在と同じ黄色い色をしたクリームができました。さらに、血行促進や炎症を抑える効果のあるdl-カンフルを加えて医薬品として販売することになりました。

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ーーそうして現在のユースキンのクリームが誕生したんですね。

野渡:はい。それが1957年のことです。当時、医薬品の保湿クリームは何社かが先行して販売しており、そこに弊社が黄色くてにおいのあるクリームを出しました。ですが、最初は販売店に持っていっても「こんなクリーム売れるわけがない」と断られることも多かったそうです。でも、とにかく使ってほしいとお客様にサンプルを配ってもらったところ、「あの黄色いクリームが欲しい」という問い合わせが増えてきて、少しずつ広まっていきました。

ーーお客様によってユースキンのクリームが手荒れに効くと評判になったんですね。

野渡:当時からユースキンという名前だったのですが、「手荒れに効く黄色いクリーム」として広まったそうです。

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代表取締役 社長 野渡和義氏
昭和24年、川崎市生まれ。昭和47年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、住宅メーカーに入社。昭和48年にユースキン製薬へ入社。営業、商品企画、広告担当を経て、昭和55年取締役営業担当、昭和60年に常務取締役に就任。昭和63年10月代表取締役社長就任。以来現職。

あなたの肌のためのクリームをつくる

野渡:でも、そう簡単には全国に広まっていきませんでした。そのため、一軒一軒薬局をまわって取扱いをお願いしました。私が昭和48年に入社した当初は、東北の営業担当をしていました。ちなみに、ユースキンの名前は「ユー(You)=あなた」の「スキン(skin)=肌」という意味で父が考案したものです。戦後、厳しくもたくましく生活を支えてきたご婦人方の肌を守りたいという思いだったんですね。

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西澤:柴田さんは家族ぐるみでユースキンのヘビーユーザーだったんですよね?

柴田:はい。ユースキンのクリームは実家の棚に普通にありました。

野渡:実は、柴田さんのご出身の山梨県ではとてもよく売れたんですよ。肌荒れに効くクリームなので、低温でありながら雪があまり降らない乾燥した地域に昔から浸透していたんです。

ーーリブランディングの背景をもう少し教えていただけますか?

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この続きは、エイトブランディングデザインWEBサイトで全文無料公開中。『ユースキン[ 前編 ]お客様への想いを背負ったものづくりをその先の未来へ』

執筆・編集

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Photo:Takuroh Toyama

加藤孝司  Takashi Kato
デザインジャーナリスト/ フォトグラファー
1965年東京生まれ。デザイン、ライフスタイル、アートなどを横断的に探求、執筆。2005年よりはじめたweblog『FORM_story of design』では、デザイン、建築、映画や哲学など、独自の視点から幅広く論考。休日は愛猫ジャスパー(ブリティッシュショートヘアの男の子)とともにすごすことを楽しみにしている。http://form-design.jugem.jp

撮影

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トヤマタクロウ
1988年生まれ。写真集や個展での作品発表を中心に、クライアントワークにおいても幅広く活動。http://takurohtoyama.tumblr.com




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