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なぜ今、『翔んで埼玉』なのか

(画像の出典: Illust-ac)

うちらはもろに、パタリロ世代だった。
昔、同い年の知人で八戸高校を出た奴がいてさ、卒業アルバムを見せてくれたことがあった。
クラスごとに、証明写真状に生徒達のポートレートが並ぶ中、とあるひとりの女の子を指して、こう教えてくれた。「この子、パタリロのモデルになった子だよ」
確かに似ていた……
作者・魔夜峰央氏の親戚らしい。

『翔んで埼玉』も’82年だからほぼその頃の作品でしたっけ。うすらぼんやりと覚えている。
タモリによって埼玉がディスられ始め(タモリは埼玉の少し前には名古屋をディスってた。だから埼玉だけが被害者ではない。B&Bのモミジマンジュー、広島アゲ岡山下げなんてのもあった)、前後して『笑っていいとも』が始まった頃だ。しかしそのおかげで『なぜか埼玉』なる歌が流行り(流行った…のか?)、数年後にはさいたま博が開催され、「さいたーまん」という謎のキャラクターが登場したりもした。

トンで何々ってぇのは、「飛んでる女」なんてフレーズが持て囃され、『飛んでイスタンブール』やら『かもめが翔んだ日』やら『夢想花』の歌が出た’78、9年に流行った言葉だ。やや出遅れた感すらあった印象。まして21世紀になり元号も変わろうとしている今日、誰もトンでる、だのナウい、だのという言葉は使わなくなっているってのに。ギャグでしか。
それがなぜか去年かおととし単行本が復刊され、その後映画まで公開されてしかもヒットしたらしい。

どうして急にこんなことになっちゃったの? とフツーは思うでしょ。

『パタリロ!』の方は連載も長く続いていて、数年前から舞台化、アニメ化の動きもあり、こっちも映画もやるらしい。その流れで「魔夜先生、この勢いで他の作品も映像化しちゃいましょーよ」なんて声でもあったのか。

話は変わるが2011年の震災の後、プロアマ問わず、やたら震災やら東北やらをテーマにした小説が出てきたりした。ブログに上げてた奴もいたし。
超不謹慎な言い方だが、それ震災だ非日常だネタになるーーーー! とばかりにみんな、殺到しちゃったのですかね。
最近はそれも落ち着きつつあるが、それでも毎年2月3月には、テレビも特集組むし、本屋にもそれ関連の本が並ぶ。
で、ついに今年「被災地はストーリーの素材じゃないんだよ」と宮城県のおっちゃんから苦言を呈された次第。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5c85d231e4b0ed0a0014d6dd

筆者もまた、そういった状況を斜めに見ていた一人ではあった。
お涙ちょーだいなのか、感動を煽ろうとしてんのか、話題になりたいだけなのかと。
しかし最近、これはこれで意味のあることなのかも知れないと、ちょっと思い始めている。というのも──

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