数学・哲学趣味は節約になるけど、生活力と資産力があっての話

昔から学力とか学歴よりも生活力と資産力のある家庭に嫁がせれば、
親としては大満足といわれるように

哲学とか数学っていう趣味は、生活力と資産力の土台があって初めて成り立つものだと思うことがよくある。

でもって、哲学とか数学やるんだったら、その人が立派に生活を送っている人じゃなければ説得力がないよね・・というか生活がうまく行っていない人がそれをやり続けることは、ジャンルとして成立しないし、有害な趣味だよね。昔のロッケンローラーと一緒。パンキッシュすぎる。

文化ってビジネス、つまりお金がうまく回ってから成立するということは、確かなんだと思う。

もちろん、哲学とか数学が図書館使えば無料だし。頭も賢くなるから悪い趣味だとは思わないけど、高望み感を否定できない面もある。

学業・研究とかがある程度の資力をもたないと有効な階級上昇効果が期待できないことは不平等だというより、学業でお金になるっていうことはまずないない。偏差値70って人口の上位何%か??というのを意識すれば、すごく細くて狭いマーケット、そこで理解できる人を増やしてお金を増やそうということはなかなかのリスクがある。なんのために大学は入試試験を作って学部編成をして、カリキュラムをデザインして、授業を設計しているかということにたいして、推測ではあるけれども産業界のニーズというのが一番大きいのではないかというのが私の仮設。

異性にモテるかどうかは、わからないけれども、通貨ほど強い信頼はない。
一番心配なのは、夢の武道館ライブを目指して、働かなくなっちゃうんじゃないかといこと

もし自分が本を無駄に買ってしまう。時間を使ってしまう。というときは難しい哲学とか数学の本を一冊終えるのに一年くらいかけてやれば、書籍の出費は抑えられるわけだから、効果は抜群だ。

でも、もし哲学とか数学で食っていこう。となるなら日本に流通していないことを導入するだけの語学力と、一日にまとまった時間集中して取り組めるだけの体力が必要になる。しかもしかも、食っていこうということはビジネスにしようということ

そのためにはどうしてもキャッシュポイントを確保する必要があって、ブランドものの名の知れた書籍を”仕入れ”るならば、それをどうやって”売上”にかえていくかということを考えないと、将来、価値が下がるものを高い値段で買っているということになって、その自己投資は無駄におわる。

ただ、それをやっていることによって頭が整理できたり、ひらめきが生まれる快楽はわかる。だからそれをどうやってビジネスとして成立させるかなんだ。

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