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[ 連載 ]  鉢の木物語 〜第三章〜掲載にあたって

代表取締役 藤川 譲治

あっという間に時が流れ、夏を通り超し10月になりました。コロナ第七派は今も継続しています。

その様な中、45年間、精進料理を主に提供して参りました北鎌倉店を閉店し、鰻屋さんにお貸しすることとなりました。

止まることは一度も無かった鉢の木の歴史ですが、背水の陣でこの難局を乗り越えて参ります。

北鎌倉では今年の春から、「鎌倉殿の十三人」放映の影響もあり、商店の仲間は、営業を再開され、鉢の木の主としても安堵しています。

この度、連載の三章(最終章)を遅ればせながらここにアップさせて頂きます。
尚、この連載は、鉢の木創業40年当時にまとめた小冊子を元に転載しておりますので、アーカイブとしてお読み頂ければ幸いです。


〜第三章〜 「鉢の木」のおもてなし

創業者 千葉ウメ

ぜんざいとおはぎの秘密


 お店を始めてしばらくして、食事だけではなくて、西洋料理にデザートがあるように甘味も置いてみようと考えました。でもお客様にお出しできるような当店ならではの甘味もなく、最初は和菓子屋さんから取り寄せていました。ところがある日、上野にある有名などらやきのお店を訪ねた時のこと。トラックが着いて、何やら仕事場へ運び込んでいます。閃く物があり、そっと見に行きました。運び込んでいたのは山のような氷砂糖。これがこのお店ならではの餡の味の秘密だと、思いました。さっそく帰って試してみたところ、それまでにない小豆が煮上がりました。さらに試行錯誤を重ねて、素朴ではありますが、これならばと納得できるぜんざいやおはぎができ、お店のメニューとなりました。「お土産にできないか」と言ってくださる方もあり、お陰さまで人気メニューとなりました。 今では季節の和菓子も当店の手作りでご用意できるまでになり、楽しんでいただいています。

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映画のロケから生まれた木の実豆腐

 ある時、建長寺さんの境内で映画のロケがあると聞きました。ロケともなれば、スタッフは大勢だろうし、この辺りには食堂もないので、昼食時にはきっとうちの店に来てくれるに違いないと思い、豆腐を大量に仕入れました。ところが、仕出し弁当を用意したようで、ついにロケ隊は一人も来店することはありませんでした。期待は空振り。困ったのは、たくさんの木綿豆腐の始末です。夏の盛りでしたから、とても翌日までもちそうもありません。しかし、捨てるのはもったいない。その時に苦し紛れに思いついた料理法が、まず豆腐をザルにあげて水気を切り、当たり鉢でなめらかになるまで擦り、クルミや栗などの木の実を加えて、砂糖や醤油で味付けし、型に入れてオーブンで焼くというもの。これなら火を通すので日持ちしますし、さめてもおいしくいただけます。名付けて”木の実豆腐“。今では当店の定番メニューとなっています。

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※こちらのお料理は「精進料理 北鎌倉店」にて提供していました。

抹茶ご飯

 強羅ホテル時代のこと。戦後まもない時期でしたが、お客様に不自由させるわけにはいかないので、私たち従業員は食事も質素なものでしのいでいました。しかし、たまには目新しいおいしいものが食べたいもの。いつもご飯にお醤油とじゃこはもう飽きたし、何か目先の変わったものはないかと戸棚を探していたら、以前、お茶のお稽古に使った抹茶の残りがあったのです。それを手にした私は、あることがひらめき、「ちょっと待っていてね、三十分もあればできるから」と皆に言いました。そして、大急ぎでご飯を炊くと、抹茶を少量の水で溶き、炊きあがったご飯に混ぜ込みました。新緑のような美しい色のご飯に抹茶のさわやかな香り、うすい塩味のご飯の出来上がりです。皆、大喜びで食べてくれ、私も大変うれしかったのを思い出します。  時は流れ、豊かな時代になった今、この抹茶ご飯は『鉢の木』の定番メニューになっています。抹茶ならではの色と香りの加減はなかなかむずかしく、コツがいるのですが、家ではできない絶妙な風味とお誉めいただいています。

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※こちらのお料理は鉢の木公式HPにてレシピを掲載しております。ぜひこちらもご覧ください。抹茶ごはんレシピ

ろうけつ染め 

 商売を始める前から私の趣味だったろうけつ染め。本覚寺のご住職の奥様が先生で、いつも通うのが楽しみでした。布や革を使うものもやりましたが、私は木製品を染めるのがいちばん好きで、茶托、お盆、小引き出し、手鏡などの作品をたくさん作りました。 まず、草木染めの染料をあらかじめ作っておきます。そして蝋を溶かして下絵を描き、その蝋が乾いたら上から刷毛で染料を塗り、乾かします。さらに蝋で伏せたいところにまた染料をかけて乾かす作業を何度か繰り返し、仕上げには色止めの六化クロムの液を塗り、火にあぶって蝋を取り除いて出来上がり。私の好んだ図案はやはり草花で、自分で自由に描くのがいいのです。 時には夢中になるあまり夜なべまでして作ったろうけつ染めの茶托やお盆を店で使うようになったのですが、そのうち、お客様から「分けてほしい」という声が増え、お土産品として販売することに。各店の入口付近に、お手製のろうけつ染めの品々が並んでいるのには、そんな理由があったのです。

お手玉

 着物の端切れを使ってお手玉を作ったら、それも可愛いと好評で、お店のお土産品として並ぶことになりました。ちりめんなどの生地の模様を活かした五つのお手玉を袋に入れたセットになっています。お手玉の中身は小豆。虫食いを防ぐために、電子レンジで熱を通してから使います。 お手玉がよく売れて、材料が端切れでは間に合わなくなり、長襦袢用の反物を買ったことも。ある時、袋につける裏地にと手元にあった紅絹を使ったらとても可愛らしくできました。それが人気商品となったの、お客様からのリクエストもあってまた作ろうと紅絹の反物を探したのですがありません。 当時は白い裏地が流行っていたので、なかなか入手できなかったのです。そこで紅絹を染めてもらうことにしました。お手玉のために…とあきれられそうな話ですが、お客様のうれしそうな顔を思い返せば、なんとかして作りたいと思ったのです。いつも一所懸命、できるだけの仕事をして、喜んでいただきたい。お客様からそんな元気の源をいただいているのです。

輪島塗り

 漆器のことを英語でジャパンというそうですが、本当にもっとも日本らしい器だと思います。 『鉢の木』ができて、七、八年した頃でしょうか。新聞に中国の漆が高騰したとの記事が出ていました。「早く揃えないと漆器が高くなる!」と思い、二、三日後にまだ大学生だった息子と息子の友人の三角幹男君にお願いして、輪島まで買い付けに車で出掛けました。たしか藤の花が咲いていたので、五月くらいだったのだと思います。今でもその時の輪島塗りの器を大切に使っています。もちろん、何度も塗り替えなどの修理をしながらですが。 日々のお手入れは大変です。夕方に従業員総出で、ひとつひとつ磨き上げます。洗った後、また二度拭きするのです。でもこうして手間をかけるからこそ、お料理もよくひきたち、おもてなしの気持ちも伝わるように思います。そして何より、従業員のみんなも労を惜しまず手をかけることの充実感を味わい、身につけていく様子がうれしいのです。

梅かつお、ちりめん山椒

 梅の木のないお寺はないほど、昔から日本人に愛されてきた梅。早春の鎌倉を歩くと、そんな梅の甘い香りがどこからともなくいたします。 そんな梅の実を使った梅干しは、おにぎりには欠かせないもの。当店では毎年、どっさりと漬け込みます。その梅干しを使って何かご飯のお供によいものを、と考えたのが梅かつお。梅干しと血合いのない上質な鰹節を大きな鍋でゆっくりと時間をかけてから煎り、お醤油で味をつけます。おにぎりやお粥にぴったりの味、お土産品としても喜ばれています。今でもこれは私の担当。手塩にかけて作っています。 もう一つ、『鉢の木』のお土産品として一番人気のちりめん山椒も私の手作り。九州の型の揃ったよく乾燥したちりめんじゃこと、京都の実山椒をさっと炊き上げ、天日乾燥します。あたたかいご飯、そしてお酒のおつまみにも喜ばれています。

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※「ちりめん山椒」に関しては現在でも鉢の木で手作りし、お土産でも販売をしています。「梅かつお」については現在は販売しておりません。ちりめん山椒

婚礼の佳き日に


 おかげさまで本店、北鎌倉店、新館と、三つのお店を構えるまでになりました。恩師を囲む会、敬老の日の家族会などのお集まりにもご利用いただくようになり、そうした思い出に残る会食をご用意させていただく喜びはまたひとしおです。 時には披露宴にとご指名くださる方もあり、少人数様の披露宴ならばと、精一杯つとめさせていただいていました。そして鶴岡八幡宮舞殿での結婚式が広く行われるようになった昨年からは、よくお問い合わせもいただくように。それならばと当店でも本腰を入れることになり、披露宴のためのチームを作ってより喜ばれる北鎌倉らしい披露宴をみんなで考え、準備をいたしました。どうなることかと内心どきどきしておりましたが、ひと組目の方の披露宴を垣間見て、『鉢の木』らしい披露宴ができたと、嬉しく思いました。 そして息子の代となり、婚礼の佳き日の席に使っていただけるまでになったことに、感慨深いものを感じました。

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あとがきに代えて

 「今までの歩みを本にまとめてほしい」と息子に言われた時は、やはり躊躇いたしました。でも息子や孫たちへのメッセージとして記しておこうかしら、という気持ちになり、つらつらと思い出話をまとめてみました。 忙しくて振り返る間もなく今日に至ったものですから、記憶を辿るのはどこか新鮮で、楽しくもありました。どんな苦労も過ぎてしまえば笑い話。そう言える平安な日々が今あることに、感謝しております。 思い返せば、いつでもたくさんの方に支えられて、歩いてまいりました。本文中ではご紹介できませんでしたが、次の方々にもたいへんお世話になりました。富岡畦草さん/定点写真で知られる写真家。『鉢の木』創業当時は人事院に勤務され、ガイドブックに『鉢の木』を掲載し広めていただきました。射庭武治さん/『鉢の木』料理長として長年活躍。現在は自由が丘『竹生』主人。鉢の木新館の料理指導をお願いし今日のスタイルになりました。故小島寅雄さん/元鎌倉市長、全国良寛会会長。新館開店当時から、鎌倉の文化のためならと惜しみない応援をいただき、支えていただきました。菊池高夫さん/息子の同級生で、足かけ8年もマネージャーとして『鉢の木』発展のために貢献していただきました。現在は本牧『KIKUCHI』店主。三浦勝男さん/国宝館館長。親子二代にわたりお世話になっています。鎌倉時代の食の再現など、『鉢の木』にいつもいい刺激を与えてくださいます。 このほか『鉢の木』の美術品や生け花を担当し、25年も務めてくれている久保喜美子さんをはじめ、いつの時代にも多くの従業員の働きのおかげで『鉢の木』の今日はあります。そして『鉢の木』を支えてくださる皆様、お客様に本当に、心から感謝しております。 創業40周年、そして私の米寿。こんな二つの佳き日を迎えられたことは、夢のようです。皆様と今後ともよきおつきあいをいただけますよう、心よりお願いいたします。ありがとうございました。


平成十六年十一月 吉日 千葉ウメ

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