陰口に憧れた彼女とウェイを叫んだ夜の話

「──うっさいよね」

 向かい席に座るイチノセさんが、唐突にそんな一言を発した。僕が「うん?」と首をかしげると、彼女は天井に向けた人差し指を小さく回す。

 仕切り越しに降ってきたのは、学生と思しき一団のお喋りだ。

 ──「夏合宿さぁー、一発芸とかマジだるくない!?」
 ──「いやアレねー! 俺も聞いててマジないと思ったわ!!」
 ──「幹事長ってホント頑張りどころを間違ってるっつーかさ!」

 宵闇に包まれた学生街の、安居酒屋。喧騒の七割、いや八割くらいは学生の会話で占められていた。夏季休暇を控えた時季柄、そこかしこで合宿談義に花が咲いているようだ。

 夏めいている、と思わずにはいられない。この二人きりの飲み会にしたって「そろそろ夏だから」という曖昧な理由で催されたものだった。

 発端は、大学のゼミ同期から届いた一通のメールだった。

 “久しぶりにみんなで集まろーよ!”
 学生時代のメーリングリスト経由で誘いがあったのが、先週の日曜日。
 “19:30に駅前ロータリー集合で(店はその場のノリで決める)”
 そんなライトな文面に誘われて「出席」で返信したのが一昨日のこと。

 参加者は五人のはずだったが、集合時刻間際に残業やら体調不良やらの欠席連絡が相次ぎ──結果として、僕とイチノセさんのサシ飲みとあいなった。

 黒縁メガネに、ぱりっとした着こなしのネイビースーツ。集合場所に現れたイチノセさんは、相も変わらず凛々しかった。
 
「ハチノヘくんは絶対来るって思ってたよ」
「なにその謎の信頼感」
「だってハチノヘくん、この手の誘いに欠席したの見たことないし」

 開口一番の会話が、そんな感じだった。僕もイチノセさんも、さして口数が多いほうではない。ふたりきりで喋った記憶なんて、おそらく片手で数えられる程度だ。おまけに、揃って下戸とくる。それでも、ファミレスではなくわざわざ居酒屋に入ったのは、なんだかんだで学生っぽい雰囲気に浸りたかったからだと思う。

 そうか、五年ほど前はこんな会話を交わしていたんだっけか──。

「──あたし、いっつも思うんだよね。ああいう系の陰口は、面と向かって言えばいいのにって」

 色素の薄いコーラをあおって、イチノセさんはため息をついた。社内のプロジェクトチーフになったという彼女は、最近では職場の人間関係に苦労しているらしい。課内のお局様グループに陰でコソコソ言われてるっぽいんだよね、と物憂げに彼女は語った。

「こっちから出向いて問いかけたら愛想笑いでゴマかすしさ、ホントめんどくさいよ──」

 つらつらと彼女が愚痴をこぼしている間にも、どこからともなく誰かによる誰かの陰口が流れてくる。

 いわく、あの子にアイツは似合わねぇ、とか。
 いわく、教授の指導がテキトーすぎる、とか。
 いわく、後輩がクソ生意気で殴りてぇ、とか。

 まだらに宙空を飛び交う会話。そのなかでも、ひときわ高いテンションで騒いでいるのは十人ほどのグループだ。仕切りの向こう、店内奥の座敷席エリア。ついさっき、イチノセさんが「うっさいよね」と評した学生たちだった。

「先月彼女にフラれましたァーッ!!」
「ウェ───────────イ!」
「あたしは彼氏ができましたーっ!!」
「ウェ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜イ!」

 いかにもパリピな雰囲気をまとう一団。そのなかにあって目を引いたのは──卓の片隅、喧騒をよそに虚空を眺めて座る男女のペアだった。身を寄せ合っているかのようで、そのくせ視線は一向に交わることもない。
 楽しいのか、はたまた退屈なのかも判然としないふたり……。

 瞬間、強烈な既視感を覚える。
 はて、と思ったのもつかの間、ぶわりと記憶が蘇った。

 ──ああ、そうだ。

 五年前の、あの夜だ。
 あの角席に、あんな感じで、当時の僕は座っていたのだった。

 イチノセさんに憧れた『彼女』とふたりで、イチノセさんに対する陰口を聞きながら──

***

「──つーわけで、期末試験も終わったってーことで、かんぱぁーい!」

 あれは確か、大学四年のクラスコンパだった。僕とイチノセさんが受けていた、文学系の講義。その講義は人数がさほど多くなく、おまけにグループワーク形式だったこともあって、受講生間の距離感はけっこう近かった。

 さらに言うなら、ちょっとばかり派手で不真面目な学生も多かった。そんな彼らは七〜八人ほどで寄り集まって、事あるごとに飲み会を開いていたのだ。その飲み会に僕は全出席していたが、一方のイチノセさんはといえば、一度たりとて出ることはなかった。

 ざっくり言えば、イチノセさんはそのグループを嫌っていた。グループワークに非協力的で、そのくせ私語はやかましく喋る。その都度イチノセさんが彼らをきつく注意する場面を、何度も目にした。

 彼らも彼らで、イチノセさんのことを疎んじていた。
「あの女 意識高くて マジうぜぇ」
 五七五調で語られるそのフレーズを、飲み会のたびに耳にしたものだ。

 その日も、例によって同じだった。
 期末試験の話題もそこそこに、目下の関心事であった就活トークに移り、そこでナチュラルにイチノセさんの陰口が出たのだった。

「聞いたぁ? イチノセさん×××の内定出てたってよ」

 そんなふうに口火を切ったのは、飲みを主催したゴトウだった。
 ほうぼうから「マジかよ」と声が上がる。ついでとばかりに、舌打ちも飛んだ。

「つーか×××ってさぁ」
 ゴトウの隣に座っていた女子がおかしそうに笑った。
「あんたの内定先の親会社じゃないの?」
「そーだよだからヤなんだよ!!」
 ワックスでがっつり逆立てた髪を、ばりばりと掻きむしるゴトウ。先月まで黒々としていたはずの頭には、就活終了の証と言わんばかりに金メッシュが入っていた。

「超大手じゃん、むっかつくわー」
「ぜーったいマクラだよマクラ!」
「×××の人事ってあーいうのが好きなのかねぇー信じらんねー」

 そういう話題になったとき、僕はいつも会話から外れてむしゃむしゃと料理を貪っていた。下戸の自分にとっての「飲み会」はつまるところ「食事会」とイコールであって、もっというなら二五〇〇円ぶんのバイキングみたいなものだ。またの名を残飯処理ともいう。

 興味のない話題のときは、ただひたすらに元を取るべくメシを詰め込むに限る。けれど不幸なことに、その日は誰もが空腹だったのか、皿の上にはほとんど料理が残されていなかった。
 いちおうのところプランは「飲み放題」だし、久しぶりにソフドリ全制覇でもしてみるか──?
 そんなことを考えながら、壁にもたれかかっていた時だった。

「はっちゃん、たのしんでるぅー?」

 斜め上から、間延びした声が降ってきた。顔を上げる間もなく、誰かが僕の隣にすとんと座った。一瞬、誰だか分からなかったが──顔を間近に見て、ようやく分かった。
 そこにいたのは、ミシマさんだった。

 ゆるふわ系いじられ女子。一言で言い表すならば、彼女はそういうキャラだった。いつもは会話の中心にいて、ボケ担当として盛り上げ役となるタイプの人間。ワンピースを普段着にしているイメージが強い彼女だったが、今日はTシャツにショーパンというラフな出で立ちだ。それに、髪型も──いつものロングではなく、今日はポニーテールである。おかげで、ミシマさんだと分かるのに少し時間がかかってしまった。

 僕が「楽しいよ」と答えるより先に、彼女は言った。

「あたしはー、ぜーんぜんたのしくないでぇーす」

 いぇい、と右手のビールジョッキ(大)を掲げて、
「というわけで避難してきましたー、はぁー癒やし」
 僕のコーラグラスにかつんと縁を当てた。 

「就活どーよ、はっちゃん」
「いやもう全然。無い、内定」
「わーい仲間だ、あたしもなんだよね」
「ミシマさん、何社くらい受けたの?」
「三十いかないくらいかなー?」
「あ、自分もそんくらいよ」
「そんなもんだよねぇ?」
「そんなもんよ、そんなもん」
「でーすよねぇ〜」

 ははっ、と乾いた笑いがハモったのを合図に、沈黙が降りた。

 やがてミシマさんは卓上のビールピッチャーを手元に引き寄せ、手酌でごきゅごきゅ呑み始める。僕も僕で、ほど近くにあった刺し盛りを皿ごと持ってきて、箸を取る。

 マグロを齧ると、しゃりんと奥歯が鳴った。ああそうだコレ、解凍しきれていなくて、誰かが「ないわー」と言ったきり手をつけていないヤツだっけ……。

 がやがやとした喧騒に、突発的に笑い声が交じる。そのたびに「イチノセ」というワードが漏れ聞こえてくる。まだまだ彼らの陰口タイムは続いているようだった。

「──うっさいよね」

 ぽつりと、ミシマさんの声がした。そのつぶやきは、彼らには聞こえていないようだったが、僕の耳には確かに届いた。

 この期に及んで気づいたことが、一つある。

 ミシマさんが会話の中心となってイジられている時、イチノセさんの陰口は出ない。裏を返せば、イチノセさんの陰口が囁かれる時というのは、ミシマさんが雑談の輪から外れているときだった。

「あの話題であんだけもつの、素直にすごいと思う」
 僕がテキトーな感想を述べると、「だよね」と彼女は笑った。 

「……イチノセちゃんはいいよね、ちゃんと陰で言われててさ」
 それは羨ましがるポイントなのかな、と苦笑しかけた時だった。

「飲み過ぎじゃねーの、アケミ」

 飛んできた声の主は、ゴトウだった。トイレにでも出ていたのだろう、上がりかまちでスリッパを脱いでいるところだった。

「別にいーじゃん」と笑いながら、ミシマさんは注いだばかりのジョッキをあおる。

 会話の輪に戻りかけたゴトウは、半身をこちらに向けてなおも続けた。

「今気づいたけど、そのカッコ。上下寝巻きって手ェ抜きすぎっしょ」
「だって今日講義なかったし〜」
「つーか、おまえちょっとデブったんじゃね?」
「そう? 気のせいじゃん?」
「オトコ寄ってこねーぞ、そんなんじゃ」
「募集してねーし?」

 おどけた声音には、しかし、はっきりとした苛立ちが透けていた。さすがにゴトウもそれを感じ取ったのか、「あっそ」と顔を背けてグループに戻っていった。

 ──それから会計の時刻になるまで、ミシマさんが口を開くことはなかった。

***

「あれっ、アケミそっちなの?」

 会がお開きになり、店を出たところで誰かが言った。

「そー、こっちに用事あってさ」

 ミシマさんは東の方角を指して、にっこりと微笑んだ。

 この学生街における帰り道なんて、基本的には二つしかない。東ルートか、西ルートか。このメンツに限って言えば、僕だけが東ルートで、あとは全員が西ルート。だから、ミシマさんが「東」に行くと聞いて少しびっくりした。

「はっちゃーん、お持ち帰りされんなよぉ!」

 ここぞとばかりに、ゴトウが言った。よく通る声が、猥雑な街に反響する。

「そいつ肉食系だからぁ、マジで!」

 骨まで食べそー、と女子の誰かが合いの手を入れて、どっと笑いが起こった。

 草食系、という言葉を書店の平積みでよく目にするようになった時期だった。僕はそういう立ち位置で、ミシマさんはそうではなかった。

 たわいもない冗談だ。実際、ミシマさんにもそんなつもりはなかった。そうと分かったのは、歩き始めてすぐのことだった。

「──さっきはごめんね、横でずっと機嫌悪くしてて」
「そうだったんだ? 特に気にしてないよ」

 気づいていないフリを、した。
 なるほど、彼女の「用事」というのはこの謝罪だったらしい。

「本当はねぇ、はっちゃんとまったりダベろうと思ってたんだけどね。なんていうの、お悩み相談室的な」
「そんなに浮かない顔してた?」
「してたしてた! あたし教職取ってたからね! ミシマセンセに言ってみ言ってみ?」
「どうしたら内定取れますかねセンセ」
「んんー! センセーにもわっかんないな〜!」

 笑顔でサムズアップするミシマさんだった。そうだよね、ごめんね。

 反省した僕は、単純に気になっていたことを訊いてみる。

「正直さ、俺、ゴトウとかにだいぶ陰口言われてたと思うんだけど──ぶっちゃけどうなんすかね」

 ゴトウとは、別に仲が悪かったわけじゃない。だが、親しいかと問われれば、それも違う。僕は飲み会に欠かさず出席していた、ただそれだけのことなのだ。イチノセさんへの陰口の多さといい、自分だって陰で言われていても何も不思議ではなかった。

「えっ、そんなことないよ! むしろ評価高かったよ?」
「なにそれ初耳なんだけど」
「真顔でウェイウェイ言ってんのマジ面白い、って」
「それを陰口というのでは……?」
「えっ違うよ! いいキャラしてるなーっていう話なんだよ!?」

 ホントかよ、と苦笑しつつ、深くは突っ込まないことにした。

「その点、ミシマさんは陰口とかまったく言われなそうだよね」
「まあね、でもそれって陰で言われないだけなんだよ」

 あっさりとそう言って、ミシマさんは笑った。

「イジりは愛だって言うけどさ──悪口を面と向かって言われたって、どうしていいか分かんないんだけどね」

 なれっこだけど、とつぶやくように彼女は言う。

「ゴトウたちはイチノセちゃんの陰口ばっか叩くけど、あたしは好きだよ。ふつーにカッコいいよね、あのコ」
「わかる……就職したら異例のスピードで出世しそう……」
「だよね……そんでまたさぁ、お局とかから陰でグチグチ言われんだよきっと……」

 でもね、と彼女は溜息をついた。

「──イチノセちゃんみたいに、あたしも陰で言われたかったよ」

 だから、と彼女は微笑んだ。

「陰口をちゃんと陰で言われるような、そんなシャカイジンにあたしもなりたいんだなぁ」

 ミシマさんの話を聴きながら、僕は自分の振る舞いを思い返していた。あのグループでミシマさんをイジらないのは、自分ひとりだけだった。でもそれは「良心が咎めた」なんて高尚な理由からではない。

 たいして親しくなかったから、というだけだ。

 もしも僕が、普段からこうしてミシマさんととダベる仲だったならば、間違いなく彼女をイジっていたはずだ。皆と同じく彼女をイジり倒さなければ、とまで思ったはずだ。

 例えばそう、今日のゴトウのように──。

「──なんつーか、今日のゴトウはヒドかったね」

 無意識に、僕はそう口にしていた。自分のなかの罪悪感を紛らわすかのように、あるいは贖罪のように、言葉を継ぎ足していた。

「おまえはミシマさんの彼氏かっていうね、いや仮に彼氏だとしてもよ、ああいうこと言っていいわけじゃないと思うけど──」

 そこまで言って、僕はひとつの可能性に思い当たる。

 よくよく考えてみれば、言動の端々に違和感はあったのだ。Tシャツにショーパンという彼女の「ラフな格好」を、あいつはどうして「寝巻き」と判別できたのか。それでいて、イジりが「オトコ寄ってこねーぞ」になるのはどういうわけか。

 ──こういう時に限って、予感というのは当たってしまうものだ。

「……あいつね、元彼なんだ」

 明るい声音が、やけに耳に響いた。

 他に好きな人ができた、って言われてさ。やんなっちゃうよね、いやあたしもそろそろキツいなって思ってたんだけど。フる前にフラれちゃったっていうかさ、まぁそういうわけ。

「ていうか、いつまで彼氏ヅラしてんだっていうさーもうさーほんと──」

 そこから後は、続かなかった。
 かわりに、鼻をすする音が小さく聞こえた。

 ごめん、というのは違う気がした。
 けれども、気の利いた言葉なんて、何ひとつ思いつかなかった。

 だから──全力で自分のほうに話題を逸らすことしかできなかった。

「ミシマ先生、あの、もひとつお悩み相談いいすか」
「ん、どうぞどうぞ」
「正直に言うと──ちゃんとウェイウェイできない自分がイヤでさ」

 新入生みたいな悩みである。少なくとも、大学四年生のそれではないだろう。そもそもの話、僕はそういうウェイ系大学生にはなるまいとしていたのだ。

 けれども、二年、三年と級が上がるにつれて、変化している自分がいた。

「ウェイウェイ鳴いてんじゃねーよ」と内心で舌打ちする一方で、こうも思うようになったのだ。

「大学生としてウェイウェイしないのは、むしろ機会損失なのでは?」と。

 そうした迷いの表れが、ゴトウたちが言うところの「真顔でウェイウェイ」だったのだと今にして思う。

「そういうわけで、語尾にウェイって付けてみようと思う」
「ちょっとよくわかんないね?」
「無理にでも言えば、それっぽくなるかなって」

 それに、マンネリはよくない。陰で消費されるにしても、新しい話題を提供したいではないか。

「どうせなら、楽しそうにウェイウェイ言ってるウケるー、って言われたいわけ」
「やっぱりよくわかんないけど……まぁいいや、じゃあスタート」

 号砲よろしく、ぱぁん、とミシマさんが手を打ち鳴らす。
 しかし、言い出しておきながら、とっさに何も思いつけない僕だった。
 たっぷり十秒は唸って、挙げ句にひねり出した第一声は──

「えーと……改めまして……就活がんばろうぇい!」
「なんか思ってたのと違うね?」

 うん、僕だってそう思う。不慣れにもほどがあるだろう、と自分で自分にツッコみたくなる。でも、彼女がかすかに笑ってくれたから、そのまま押し通すことにした。

「By the うぇーい、卒業はできそう?」
「うっわ久々に聞いたわそれ! 受験以来だわ!!」

 言ったそばからスベったと思ったが、ちゃんと拾ってくれた。いいひとだ。拾いにくいネタをヘッドスライディングで掬ってくれる人間に悪いヤツなんていないのだ。

「ノープロブレムだよ、あとは卒論だけだし! ウェーイ!」
 右手をかざして、彼女は叫んだ。

「マジうぇーい!?」
 左手をかざして、僕も叫んだ。

 素晴らしいなミシマさん、学生の鑑だ。ついでに言うと、僕は単位的に卒業すら怪しい。

「ウェ───────イ!」
 天に向かって彼女は吠えた。

「ゔぇっ!! ゔぇーい!!」
 吐瀉物を踏んだ僕は、地べたに向かって絶叫した。

 仕事帰りと思しきサラリーマンとすれ違った。これだから学生は、と言わんばかりの疎ましげな視線をよこされた。けれども、そんなものは気にもならなかった。

「声が重いよ! もっと軽やかに薄っぺらく! はい!!」
「ウぇ──────い!」
「ワンモア!」
「ウェ──────イ!!」
「イイネ!!」

 前方から迫りつつあった学生集団が、真っ二つに割れた。気分はモーゼだ。ミシマ先生直々のご指導、その賜物と言えるだろう。「酔いすぎだろ」なんて声が聞こえたが、こちとら完全なるシラフである。

「ウェ───────────イ!」
「ウェ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜イ!」

 道行く人々の失笑と奇異の目を集めながら、僕らは夜空に拳を突き上げる。大学四年分の──いや、もう数年分のお釣りが来るくらいにはウェイウェイ叫びまくったと思う。

 息が切れ、喉がかれかけた頃には、もう駅にたどり着いていた。 

「じゃーね、はっちゃん! 就活がんばろウェイ!」

 それが、ミシマさんの最後の言葉だった。

 以来、学内でミシマさんとは会うこともなく──むろん、今日に至るまで交流もない。

 きっと、ミシマさんはどこかでシャカイジンになったのだろう。

 彼女の願いは、叶ったのだろうか。

 叶っているといいな、そう思った──

***

「──ねぇ、聞いてる?」

 やにわに飛んできた声に、意識がぐっと引き戻される。

 視線を上げれば、そこにはジト目のイチノセさんがいた。

「いま相槌が『ウェイ』になってたんだけど?」

「うぇい……?」

 どうやら思いっきり口に出ていたらしい。というか、現に出ている。無意識とは恐ろしいものだ。ついでに言えば、ヘソを曲げたイチノセさんはもっと恐ろしいことを僕は知っている。

「ばかにしてるのかな?」
「違ぅぇい」
「ばかにしてるよね?」
「いや、ちょっとミシマさんのことを思い出して……ほら、四年の〇〇演習で一緒だった」

 過ぎたおふざけを取り繕うべく、とっさにミシマさんのことを口にした。正直なところ「覚えてないよ」と一蹴されるとふんでいたのだけど──意外や意外、イチノセさんは「ああー!」と手を打ったのだ。

「あのクソ騒がしいグループの中にいたコでしょ!」
「そうそう、イチノセさんがクソ嫌ってたあのグループ」
「それなー……でもね、あのコのことは嫌いじゃなかったよ」
「あ、そうなの?」
「ふたりでわりと一緒に学食行ってたし」
「そうだったの!?」

 聞けば、ふたりは一年の頃の必修科目で一緒だったらしい。加えて、二年になってからは午後イチの選択講義がよく被っていたらしく、昼休みにばったり会ってはよく昼食を共にしていたのだという。

「なんだ友達だったのね、全然知らなかったよ」
「うーん、友達ねぇ、どうなんだろね」

 イチノセさんは苦笑して、続けた。

「あたしは友達だと思ってたけど……向こうはそう思ってなかったんじゃないかな」

 きっとそうだよ、とは言えなかった。実際のところは知るよしもないし、確かめるすべもない。ただ、ミシマさんがイチノセさんのことを憎からず思い、憧れていたことは確かだ。

 だってほら、彼女は言っていたじゃないか。

 “イチノセちゃんみたいに、あたしも陰で言われたかったよ”

 ──いざ頭の中で字面に起こしてみると、なんとも微妙な響きではある。いざ口に出せば、その微妙さはいや増すことだろう。仮にイチノセさんに話したとして、これは「陰口」の一種になるのだろうか? そんな疑問が、ふと脳裏をよぎった。

 “おんなじだよー!”

 瞬時に、ミシマさんのツッコミが脳内で飛んだ。

 “真顔でウェイウェイ言ってんのマジ面白い、とそう変わんないっしょ?”

 まあ確かに、と吹き出しそうになって、まあいいや、と思った。

 大学つながりの集まりも、年を追うごとに回数も参加者も減ってきた。「また今度」と言葉を交わして、もう何年も音沙汰のない友人たち。必修講義のクラスメイト。サークルの仲間。ゼミの同期にしたって例外ではない。

 イチノセさんとこうして顔を合わせる機会は、この先どれくらいあるのだろう?
 なんだかんだで、毎年会うのかもしれない。
 でも、今日が最後とも限らないわけで。

 だから、イチノセさんには話したかった。

 イチノセさんに憧れたあの子のことを、僕はどうしても伝えたかった。

 学生時代よりは少し濃くなったような、でもやっぱり薄いことには変わりないコーラで唇を潤して、僕は再び口を開いた。


<了>

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蜂八 憲

もの書く蜂。ノベルゲーム制作チーム「超水道」のシナリオ担当。 チーム最新作「ghostpia」ではディレクターとしてNintendo Switch向けに移植開発中です。

《短編小説》なにがしかの話

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