見出し画像

[エッセイ]孫はひと冬で2キロ太る


確定申告シーズンになると、毎日のように職場でたい焼きや焼き芋やあんころ餅をバクバク食べていたあの頃を思い出す。
毎年、ひと冬で2~3キロ太るのが当たり前の生活をしていた。

私はかつて田舎の商工会で働いていた。
商工会とは地域の自営業者と中小企業の支援団体で、経営相談や補助金申請のサポート、さらに地域の祭りの実行委員会などを請け負う「便利屋」的な組織である。農家にJA(農協)があるように、自営業者には商工会があると思えば分かりやすいかもしれない。

商工会に相談に来る人の半分以上は、法人化していない個人事業主だ。
家族経営の工務店や自動車修理店、美容院やカフェなど、様々な業種の一国一城の主たちをサポートするのは、とてもやりがいを感じる仕事だった。
しかし、時にはコミュニケーションが上手くいかず、心が折れそうになることもある。

「なんなんだ、あんたは! 前の人はもっと親切だったのに!」

商工会で働き始めたばかりのころ、私は古株のお客さんからよく叱られていた。
前任者からの引き継ぎ通りに仕事を進めていたつもりだったのに、それだけでは印象が良くない、ということらしかった。

商工会のお客さんは会費を払って「有料会員」という立場で私たちのサービスを利用している。そのため「お客様は神様だろ」と考える人が一部いるのも致し方ないことだった。

ときには30分以上「なぜワシの言うとおりに帳簿操作できないのか」とネチネチ叱られて、心の中で「バッキャロー脱税の片棒なんて担げるか! 国の補助金もらってんだから真面目にやれ!」と五寸釘を持ち出したことも一度や二度ではない。
あまりの理不尽さに、これは就職先を間違えたかな……と弱気になってしまうこともあった。コンビニや携帯ショップの店員さんの忍耐力を心から尊敬する。

ところがある日、同僚の藤田さんがとんでもない物を持ち帰ってきた。
山奥にあるお客さんの所へ巡回に出たと思ったら、数時間後に両手に新米の袋とみずみずしい白菜を抱えて戻ってきたのだ。
しかも「これ以外に、車のトランクにミカンと大根あるんで、皆で分けましょう!」と笑っている。さらに訪問先でちゃっかりお茶とお菓子もごちそうになっての帰還である。

あまりのことに何が起こったのかと尋ねたら、「いやー、畑に白菜があったんで『立派な白菜ですねぇ!』って褒めたら色々持たせてくれて~」と事もなげに言う。

よくよく観察してみれば、職員の中で藤田さんだけがやたらと土産を持たされて帰ってきていたし、お客さんとのコミュニケーションもめちゃくちゃ良好で、頻繁に藤田さん指名で電話がかかってきていた。

いったいどんな秘訣があるんだろう。

経費をごまかそうとする事業主と正面切ってバトルを繰り広げていた私は、藤田さんに「対人テクニックを教えて欲しい」と頼み込んだ。
同年代のお客さんはともかく、高齢のお客さんとどうにも上手くいかないことが多く、ほとほと困り果てていたのだ。

私の惨状を知っている藤田さんはうんうんと頷いたあと、ニヤリと笑った。
「久慈さん、コミュニケーションはね、孫力(まごりょく)なんですよ」

孫力。

いきなりの造語に戸惑う私に、藤田さんは「次の訪問先、一緒に行きましょう」と同行を申し出てくれた。
そして数日後、私と藤田さんは猟師さん(個人事業主)の自宅の納屋に居た。

「うわーすごい! 初めて見た!」

壁に飾られたイノシシの毛皮を褒め称える藤田さん。そうだろうそうだろう、と猟師さんは嬉しそうに罠猟のやり方と歴代の獲物を説明し、さらに空手の武勇伝(イノシシ無関係)を披露し始める。
それからおよそ1時間が経過しても、肝心の本題は口に出せてない。

どーすんのコレ。

私は猟師さんが空手でメキシコのボクサーと喧嘩した話を聞きながら、たびたび藤田さんをチラ見して懸念を伝えていた。
しかし藤田さんはニコニコと猟師さんの話に頷くだけ。
さらに猟師さんは場所を変えて畑の農作物の解説に移り、ほうれん草のできばえを褒める藤田さんに気を良くした彼は目の前で農作物を収穫し、ごっそり袋に入れて持たせてくれた。

そしてようやく猟師宅から帰ろうかという頃になって、藤田さんはいよいよ口を開いた。
「あっそういえばね、この前の経費の件! なんとかなんないかと思って税理士の先生にも聞いてみたんですけど、やっぱりダメだって……お役に立てず申し訳ないです~」
「おっ、そうなのか。わざわざ税理士先生に……すまんかったね」

なんと、あれだけゴネていたアヤシイ経費を一瞬で却下。
実質は1時間30分ほど費やされていたが、それでも不透明な経費計上を行わなくて良いという結論にはそれ以上の価値があった。

孫力。
それはおじいちゃんの話をウンウン聞く孫のように、相手の懐に入るコミュニケーションスキルのことだった。
藤田さんいわく「相手に思う存分喋ってもらうだけで、自動的に親しみを感じてくれる」というのだ。

私はさっそく藤田さんをまねて孫力を伸ばすことにした。
子供の頃から祖母と同居していたので、同じ話を何度もウンウンと聞く傾聴スキルには自信があった。
するとどうだろう。
1年後には藤田さんに次ぐ指名数を獲得し、確定申告シーズンには申告サポートを行ったお客さんからの差し入れで、毎日モリモリとたい焼きや焼き芋やあんころ餅を食べる日々が訪れた。そして体重は2キロ増えた。

質問を受けたら、立て板に水のごとく素早く答えを返すことが正解だと思っていた私は、自分の思い違いに気付いた。
商工会のお客さんが求めていたのは、正しい税務会計知識だけではなく、寄り添って話を聞いてくれる孫のような存在だったのだ。
色んな人から「たんとお食べ」と渡される差し入れは、まるで祖父母が一人暮らしの孫に送る宅配便のようだった。

《終わり》

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?