私の安全地帯
飲み会の席。
誰の隣に座るかは、私にとってとても大きな問題である。
出来れば話の合うA子ちゃんの隣が良い、絶対に。
A子ちゃんの隣なら、初対面の人、苦手な人がいても、大丈夫。
安全地帯の中にいるから。
とにかく安全地帯にいたいのだ。
いつからこの気持ちが出てきたのだろうか?
あれは遠足の班作り。
好きな人と組みなさい。この好きな人という言葉は、鋭い刀だ。
裏を返せば、嫌いな人と組まないでじゃないか。
残酷、、、、
胸がザワザワ、ザワザワ。
心臓もドキドキしてくる。
明るいあの子は『○ちゃん一緒になろう』と、やっぱり積極的に出ていき、誘われた○ちゃんもうれしそう。
私はというとお気づきかもしれないが、最後まで残ってしまうタイプであった。
この状況はすなわち、私を好きな人がいないということなのであろう。
幼い心だけれども理解してしまう。
悲しいかな、、、、
もっと遠い記憶。
2チームに分かれて遊ぶこんなのがあった。
『勝ってうれしい花いちもんめ~~~~`あの子が欲しい、あの子じゃ分からん相談しよう、そうしよう』
同じチームの友達が一人一人相手チームに行く時の、あせりといったら、なんともいえない。
私は誰からも欲しがられず、最後の最後まで残ってしまうのか。
まるで売れ残りのクリスマスケーキだ。
まるでいかず後家みたいだ。
(注:昭和の表現)
そんな痛い記憶があるから、おひとり様が好きなのです。
心がザワザワするぐらいなら
最初から一人の方が良い。
それは、自分を守る技術。
けれども生きていくには、完全100%おひとり様というのも難しいのが、現代社会。
(イヤ、縄文時代からおひとり様では生きていけなかったよね。
昔は協調性がないと村八部だったもんね)
ある程度は付き合っていかないと、人間関係スムーズにはいかないし、
100%おひとり様でいくほどの度胸もなくて、気も弱くて、人の目も気にしてしまう私。
だからこそA子ちゃんの隣が必須。
安全地帯にいればリラックスして、冗談のひとつで笑いもとれる、
そんな一面もだせるのさ。
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