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結婚・離婚②

離婚を経験して、独り暮らしに戻り

かなり寂しい感じになった。

特に嫌いになった訳でもなく、意見の相違。

離婚届は大晦日に、2人で出しに行き、ハグして別れた。

いなくなって、どれだけ自分の人生に貢献してくれていたか

気づくことが出来た。ありがとう!


30歳過ぎて仕事も好調。

ここで、出てくる集合意識(笑)

「誰か一緒にいてくれる人が欲しい」

そして、過去の経験(1度目の結婚)の反動でいっちゃいました。

「安心安定を与えてくれる条件の揃った人と結婚すれば大丈夫だろう!」

本当に、可愛いけど賢くない私でした。

そして、ユニバースは求めたら与えてくれます。

やってきました、その人が。

でも、思い返すと、歓びも無く・軽さも選んでいなかった。

プロポーズされて、YESといったものの

初めて一緒に行った旅行で、「止めた方がいい」と

いう言葉が浮かんだけど、そのアウェアネスは

抹殺して、「一度決めたから」という理由で進んでしまった。


「1度決めたら、続けるべき」誰の物の見方だろうね?

「変化すること、変化を起こすことは悪いこと」

「離婚している自分は問題がある」

「それでも、受け入れてくれた人に感謝しなければ」

「彼の為に役に立たなければ」

「彼の親に孫の顔を見せてあげなければ」


しなければいけない

の見本市のようになっていた私の人生。

母親からも受け継いでいたし、集合意識も沢山あった。

もし、あなたが今も持っているならば、送り返して

バーズもやってください。

アクセス・コンシャスネスと出会って、この「しなければ」と

再会する度に、

「やらなければならないことは何もない!」

と唱えていた。そして、自分に問いかける

「私はどうしたい?」


どうしたいかではなく、義務感で生きていたら

体が壊れてきました。

自律神経失調症。

食欲不振に動悸、不眠の果てに、マンションのベランダから

飛び降りたら…と考えるようになった。

鬱状態でした。

その時のパートナーも義務感とこうあるべきという制限の世界で

生きている人でした。

自分に自信も無く、目に見えるものにお金をかけて

自分の価値を証明しようとしてたタイプ。

自分の気持ちや、感じることから目をそむけ現実逃避。

メンタルの弱い人だった。

ある意味、似ていた。


お酒も沢山飲み、沢山泣き

「どうしたらいい?」

と問いかけはしても、

自分が我慢するべき・結婚は我慢だ

という思い込みが土台にあったから、再び離婚するという

選択は選べなかった。

「愛していない」と気づいた後も、私が我慢すべきと決めた。

症状がどんどん悪化した。

自分を偽ると、病むのです。


腹式呼吸や日拝を取り入れ、少し状態も良くなったので

気分を変えるために、ヘルパー2級の資格が取れる

職業訓練を受けに行きました。

外にいる時と、家の中での自分の落差が余計苦しくなり

関係修復のために対話を試みましたが、

元々、表面的な会話しかしておらず、気持ちと向き合うことを

していない人だったので、話になりませんでした。

そして、相手を変えようと一生懸命だったエゴだらけの私。

彼は、ただ良くも悪くも変化を求めないヒューマンだっただけ。

当時の私は、「現状よりもっと良くしたい」と思っており

それを望まないなんて!!とめちゃめちゃジャッジしていました。


ちょっとしたことがきっかけで、怒りが爆発し

家を出て実家に行きました。

2回目の結婚と言うこともあり、家族総出で私を

元に戻そうと説得してきました。

鬱状態になるほど、追い詰められていたことを誰も

理解してくれません。

実家にいる間に、円形脱毛症になりました。

自分の気持ちを、人に伝えることが不得意で

親ともちゃんと向き合っていなかったことが、表面化しました。

フラワーエッセンスとオラクルカード、介護の仕事で出会う

利用者さんからの「ありがとう」を支えに生き延びた時期でした。

自分の感情や生き方、考え方の癖とも向き合い

相手に対するジャッジメントではなく、幸せな人生を選ぶために

離婚を決めた。やりきった。

別居から1年半で離婚することになった。




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