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『海がきこえる』非売品パンフレットより、「製作当時の時代背景」と「アニメ化の狙い」について

レアな「映画パンフレット」にはプレミアがついている

《※このパンフレットは、月刊「アニメージュ」(徳間書店刊) 1993年1月号の特集記事をもとに作成したものです。》

編集/アニメージュ編集部
発行/徳間書店・日本テレビ・スタジオジブリ
協力/大日本印刷
平成5年1月31日発行
©氷室冴子・TNG/1993 [非売品]

https://order.mandarake.co.jp/order/detailPage/item?itemCode=1237909100


ジブリ作品の中での個人的な評価では、高畑勲監督作品をほとんど観ていないのですが、◎『ラピュタ』、◎『ナウシカ』、◎『火垂るの墓』の次くらいが本作の私的評価です。『火垂るの墓』は、もう二度と観たくないけど。


引用部分《》以外では下記のインタビュー等がパンフに収録されています。
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・監督「望月智充(もちづき・ともみ)」インタビュー
・作画監督「近藤勝也」インタビュー
・プロデューサー「高橋望」インタビュー
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高知・夏・17歳

_昨年の夏大ヒットした映画「紅の豚」では、「カッコイイとはこういうことさ」。つまり、弱味を見せない完成された男の姿を見事に表現していました。そこに、女性たちは憧れを覚え、中年のおじさんたちは羨望とノスタルジーを強烈に感じたのです。そして、配収27.3億円という驚異的なヒットをもたらしました。しかし、本来のアニメーションの最大の受け手だった若い男の子たちは「紅の豚」をどう見たのでしょう。こんなカッコよさ、言い換えれば、あいも変わらず旧態依然とした「男らしさ」をフィーチャーされては、ますます自分たちの立つ瀬がなくなる、いい迷惑だ、というのが本音なのではないでしょうか。_女性の時代が言われるようになって随分たちます。テレビや映画の中でも生き生きしているのは女性ばかり、男の子たちは場面の隅に追いやられています。いま、男性を描こうとすると、かつて有り得たかもしれない理想化された「本当の男」か、現代社会でスポイルされまくったマザコン男やらオタク少年を出すしかないような状態のようです。しかし、多くの若者にとって本当にリアリティがあるのは、常に、自分たちが普通に感情移入できる等身大の青春像のはずです。「海がきこえる」は、あえて「弱くなった」と言われる現代の男の子たちを主人公にすえ、親友がいて、気になる女の子がいて、そして3角関係がある。こんなストレートな青春ドラマを展開していきます。その過程で、現代の「理想の男の子」を描こうとするものです。原作は、作家生活15周年を迎えた氷室冴子の同名の小説(徳間書店刊)。原作者の狙いも、実は同じところにあります。女の子たちは変われた。次は男の子たちの番よ。まるでそんな風に語りかけるような作品です。_杜崎拓(もりさきたく)は高知市の中高一貫教育の進学校に通う高校2年生。物語は、夏のある日、拓の前に、親の離婚問題で東京から母親に連れられ、高知に転校してきた少女・武藤里伽子(むとうりかこ)が現われるところから始まります。里伽子は、勉強もスポーツも万能、そして美人。それが災いしてか、地元の皆とはなかなか打ち解けることがありません。しかも親友の松野豊(まつのゆたか)が一目ぼれしたこともあり、拓は里伽子とは距離を置こうとします。_ところがハワイへの修学旅行の時に、ひょんなことでお金を貸してしまってから、なぜか拓は里伽子が気になってきます。彼女のわがまま・きまぐれ・自分勝手にさんざん振り回されるにもかかわらず、その存在が自分の中で膨れあがっていくのです。そして、翌年のゴールデンウィーク。里伽子は、母親にも無断で東京へ旅行しようとします。母と離婚した父に会いたいがための行動でした。成り行きでそのことを知ってしまった拓は、初めて見る里伽子の心細げな様子と東京への興味もあり、同行することになります。しかし、もう東京にも里伽子の居場所はなかったのです。彼女の寂しさや辛さが少し分かってくることで、拓は里伽子に引かれていく自分を発見することになります……。_拓や松野は、どこにでもいるような現代の少年です。豚に変身して、現実社会に背を向けて生きるわけにもいかない。ありがちなアニメのように、甲子園で優勝するようなスポーツ選手というわけでもありません。もちろん、暴力と性を極端にエスカレートさせた現代風の「青春もの」に出てくる不良少年でもありません。どこまでも未完成で、特に女の子に対しては情けなく、その一方で若者らしい気負いも正義感も持ち合せた、観る人誰もが俺と同じだと思える不器用な連中です。そんな彼らと、都会からやってきた器用すぎて傷ついてしまう少女との出会い、育った環境の違いがもたらすあつれき、そして触れ合いの物語。主人公たちが、卒業、そして一度巣立った仲間たちが初めて再会する大学1年の夏休みへという流れの中で、少しずつ成長して行く様には、同世代からの強い共感が寄せられるに違いありません。_なお、今作品は過去、宮崎駿・高畑勲両監督の劇場用長編映画のみを制作してきたスタジオジブリが、初めて挑むテレビスペシャルになります。スタッフも監督以下若手が中心です。過去、2大監督の元で腕を磨いてきた若者たちが、そのくびきを抜けたところで、思う存分自分たちのアニメーションを作ろうというのです。その対象として、青春アニメの「海がきこえる」は、まさにうってつけと言えるでしょう。また音楽を、現在放映中の「日本テレビ40周年記念スポット」などを手掛けた27歳の新鋭・永田茂が担当することにも注目が集まっています。》


原作者・氷室冴子(1957-2008)氏の談話

氷室冴子地方を舞台に制服を着た男の子と女の子の話を書きたかった

_’80年代後半というのは都会を舞台にしたトレンディードラマが主流で、都会人でなければ恋愛もできないみたいな雰囲気があったんです。私自身、北海道出身ですから、ちょっと気になっていました。それに講演会などで地方に出かけると、その土地の風土と制服を着た男の子と女の子が風景としてとても美しく思えたんですよ。それらのことに刺激されて、この連載を始めたという感じです。_土佐・高知を舞台にしたのは、私が北国出身で南国に憧れていたから。それに高知の海があって、街に川が流れている風景がとても開かれている感じがして、物語を作るときの背景にとても合うと思ったんです。_私はこれまでストーリー重視の作品作りをしてきたのですが、「海がきこえる」ではストーリーよりもむしろ映像的なイメージを重視したスタイルをとってみました。ですから、一シーン、一シーンがとても楽しめながら書けましたし、気にいっています。_その作品が映像化、しかも一緒にお仕事をしていた近藤勝也さんの手でアニメ化してもらえるなんて、嬉しいかぎりです。_いままで私の作品は映画化、テレビ化、CD化して頂いたことがありますが、そのすべてがスタッフ、キャストに恵まれてイメージ通り、いえそれ以上のものに仕上げてもらえました。今回もスタジオジブリさんという最高のスタジオで作っていただけるのですから期待せずにはいられません。 (談)》


【From編集部】

【From編集部】 ’90年代の流れを作る作品に ―――久々のAM(アニメージュ)読者向けジブリアニメ登場

連載開始のころ
_1989年10月。「’90年2月号から氷室冴子の連載が決定した」というM編集部員の報告に、AM編集部は大いに沸(わ)いた。集英社コバルトシリーズの『なんて素敵にジャパネスク』などで、100万部以上を出版できるベストセラー作家として、氷室冴子はすでにあまりにも有名であったし、何よりもその内容が、土佐・高知を舞台にした、まったく純粋な青春グラフィティーだということだったからだ。当時をふり返って前出の部員はこう語る。「当時私は、『アニメージュ』に内容的な広がりを持たせたかったんです。それで一般的な中高生が読んでも充分楽しめるような作品を連載したかったのです」。_M部員がモニターにしたのが、当時の編集長の娘さん(そのころ中学生)だった。「彼女が氷室さんの『さよならアルルカン』を読んで非常に感銘を受けたという話を聞いたので、そうかと思いました。というのは私も氷室さんは読んでいて、私たちも充分楽しめる作品だったので、なんとか連載できないか、という思いを深くしました」。_とはいえ連載はなかなか実現しなかった。待って待って約3年。実現のキッカケは、映画「魔女の宅急便」だった。「『魔女』のED(エンディング)が氷室さんを刺激したようなんです。『あのEDシーンを予感させるような青春グラフィティーを書いてみます』って言ってくれたんです」。_連載決定への要因はほかにもいろいろあったものの、こうして「海がきこえる」の連載が始まったのだ。

イラストの選択
_アニメ誌の青春小説連載だけにひと工夫したいと編集部は思った。まずビジュアル化ということを意識した。カラーを含む変型判という、連載小説としては異例の体裁をとり、イラストを描く人は、多数の候補の中から慎重に選ばれた。その人が、アニメーターの近藤勝也だった。「魔女の宅急便」のキャラデザイン、作画監督の一翼を担い、その後にもTVスペシャル「雲のように風のように」のキャラデザイン、作監を担当、めきめきと頭角をあらわしていた近藤勝也を選んだのは、いまとなっては卓見だったというのは自画自賛か――。_しかし、まさかそれが近藤勝也作監で、しかもスタジオジブリのアニメーションとして実現するなどとは、当初編集部では考えもしなかった。「アニメージュ」連載作品がジブリでアニメ化されるのは、何とあの「ナウシカ」以来、いや正確にいえば「ナウシカ」のときはまだジブリは設立されていなかったので、初めての快挙といえる。_宮崎駿監督は「海がきこえる」について、「近藤くんの絵は、感じがいいんです。本人と似た、まだ自分が何物かわからない人物を描くと、特にいい。今回の作品で、彼がどれ程の力量を発揮するのか楽しみにしています。拓と里伽子が二人きりで飛行機に乗って東京へ行く道ゆきをどう描くかに注目したいですね。と暗黙のプレッシャーをかけておきましょう」と近藤勝也にエールを送っている。

正統派青春ドラマ
_連載中「海がきこえる」の好評の原因は、「久しぶりの正統派青春ドラマ」とか「不良が出てこないところにリアリティーがある」というのが多かった。なぜ「正統派青春ドラマ」と多くの人が思ったのだろうか。_連載開始直前の’80年代半ばから終わりにかけて、当時中・高生だった、いわゆる「団塊の世代の子供たち(ジュニア)」が社会を騒がせていた。校内暴力が社会問題化し、TVドラマでは「スクールウォーズ」など、不良学生が主役の学園ドラマが席捲していた。アニメでは「北斗の拳」「聖闘士星矢」など“闘争もの”が、女の子までに大ウケだった。大人たちは、闘争的な中高生を描くことで、彼らの青春を描けると思ったのだろう。_そんな青春ドラマ状況のなかで、「海がきこえる」は、大きな事件は何も起こらず、告発、反抗する相手も登場せず、ただフワッとした高校生の日常を克明に描いてみせた。編集部員の大半も、陸続と放映されたアニメのような闘争的青春時代など送ってはいない。元来ドラマは誇張だとして百歩譲っても“闘争”ばかり描くのはどうかと思っていた――。だからこそ「これぞ正統派青春アニメだ」と共感したのではないだろうか。

アニメにおける青春ドラマ
_アニメ化にあっては近藤勝也に勝るとも劣らぬ役割を担っているのが監督の望月智充である。彼のこれまでの作品をふり返ってみると、「クリィミーマミ」などの魔法少女ものの演出をコンスタントにこなす一方、’87年の「めぞん一刻完結編」(映画)や’88年の「きまぐれ☆オレンジロード あの日にかえりたい」(映画)などで監督をつとめている。「めぞん」も「きまぐれ」もともに、青春期の男女の淡い恋愛関係を、彼らの日常生活を克明に描きながら表現するというものだった。要するに望月監督は「’80年代後半に、すっかり陰をひそめていた“正統派青春ドラマ”を守りつづけた、時代に迎合しなかった数少ない監督」(本誌特派記者、斉藤良一談)の一人ということが言える。_その望月監督もTVシリーズ「らんま1/2」の演出を途中降板して以来、地味なビデオ作品などを手がけて、深く静かに潜行していた。前出の斉藤記者によれば、「『らんま』は『めぞん一刻』などと同様、高橋留美子原作のアニメではあったんですが、作品傾向として、多少ドタバタ的な側面が強く、それが望月監督の降板する大きな要因になったのではないでしょうか。彼はそういう傾向のものよりはむしろ、日常生活を淡々と描きながらドラマ作りをしていくという作品を得意としていますから」。_そう考えると「海がきこえる」は久しぶりに登場した、望月監督向けの大型作品といえる。

ポスト団塊の世代Jr.の時代に
_校内暴力が社会問題化して以来、高橋留美子のようなマンガ家まで、読者層の変化、つまり校内暴力の渦中にいた団塊の世代Jr.に向けて、作品傾向を変ぼうさせざるを得なかった。しかし時は流れ、団塊の世代Jr.はいまや大学生以上になり、 団塊の世代Jr.のあとにつづくいまの中・高生たちの青春を描く明確な作品づくりができていない時代が現代(いま)だといえる。_校内暴力、反抗はなりをひそめ、不良少年・少女がスポットライトを浴びる時代も終わった。しかし、反抗する対象もない、いまの中・高生が真に共感できる作品が消え、彼らは管理教育のなかで無気力感を深めていっている――。なぜ断定するかといえば、かつては「アニメージュ」編集部を訪れた中・高生には挑むものの輝きがあった。しかし最近の読者にはその輝きが消えていると思うからだ。_そんな折りも折り、過熱に同調せず深く静かに潜行してきた望月智充が、これまたマイペースで普遍的な青春を描きつづけてきた氷室冴子の原作をもとに、さらに連載中からノリまくっていた近藤勝也のキャラでアニメ化される「海がきこえる」。このベスト・トリオの作品に期待するなというのが無理だろう。_この作品はだから、ポスト団塊の世代Jr=現代の中・高生=いまのアニメージュの中心読者層にむけた、’90年代の大きな流れを作る作品になることを、編集部は信じて疑わない。 (文中敬称略)》


↓パンフの基になってる?『月刊アニメージュ1993年1月号もプレミア価格

↑「表紙」(画像は「まんだらけ」より) 『月刊アニメージュ』1993年1月号
↑「目次」(画像は「まんだらけ」より) 『月刊アニメージュ』1993年1月号


『海がきこえる』(1993/日本/TV映画/72分)の関連リンク集



海外映画サイト(※英語)での評価。
英語のタイトルは『Ocean Waves』。

英国Amazonのカスタマーレビュー(現時点で「131」の投稿)

米国Amazonのカスタマーレビュー(現時点で「82」の投稿)

ドイツAmazonのカスタマーレビュー(現時点で「46」の投稿)


日本Amazon
のカスタマーレビュー(現時点で「46」の投稿)


氷室冴子(1957-2008)原作小説の2022年〈新装版〉文庫の↓一般人レビュー

↑と同じ原作小説の1993年の初単行本/1999年文庫版のカスタマーレビュー


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