日記「放課後の恋人達との遭遇」

掃除を終えて荷物を手に廊下に出ると、隣のクラスの少し空いた窓から友達がいるのが見えた。

声をかけようとして─────やめた。
高橋くん(仮名)がいたからだ。
その友達と高橋くんは恋人同士である。
仮にもしそこで「〇〇ちゃん、バイバイ!」なんて言おうものなら、2人して微妙な笑顔を浮かべて、いや、そこまではいい、私が"あっ"という表情をして足早に立ち去ったあと、どうせ困ったように見つめ合うんだろうな、それで・・・

考えるのをやめた。
やめても、私はその場面を発見したときの、あの頭をかち割られたかのような衝撃を忘れることができなかった。
私の友達は美人で真面目・文武両道というような絵に描いた完璧超人である。あの子に彼氏がいるということは大分前から知っていたし、そもそもそれについてのショックは克服したはずだ。では何が原因で起こったのか。
私はそこで恐ろしい事実に気づいたのである。

私が恋愛そのものを、その存在を忘れていたのだ。

2年前、つまり高校1年生のときの特に後半はカップルの成立ラッシュだった。(同時に破局ラッシュでもあったのだとは思うが)
毎週のように、やれ誰が告白したとか振られたとか、そういう話を聞いていた。その度に、恋愛市場における私の価値の無さを痛感し、友達に話しては
「えー、そんなことないよぉ」
という定番の慰めを貰い、それをさせる私にも嫌気が差して・・・・・・
脳は都合の悪いことを忘れると言うが、それは本当だったんだな。すっかり忘れていた。
今まで忘れたままいられたのは恐らく、カップル達の特有のあの「二人の世界」が堂々と展開されてはいなかったからだろうと思う。(どうせ見つけてしまったら見つけてしまったで彼らのムードの足しになるんだけどな。この世は理不尽)

生まれて17年、告白されたことも、誰かが私のことを好きだという噂も聞いたことがなく、なぜか玉砕経験だけはある私である。周囲で当たり前のように出来上がっていく恋愛の雰囲気に押しつぶされてしまうのは想像に難くないだろう。
片思いはしたことはあるし、今だって思いを寄せる相手はいる。ただ、その全てが悲しくも一方通行である。

そんな私が久々に、互いに想いを通わせるいわば
「インタラクティブ・ラブ」を3年生になってから目撃してしまった辛さ。
小学生のときの私はなぜか、高校になれば彼氏の1人や2人できているはずだと謎の自信を抱いていたが、今はただタイムマシーンに乗ってそんな的外れな未来予想をぶちこわしてやりたい。
18歳手前でも、おまえの隣には恋人はおらぬ。
躁鬱という愉快(厄介の間違いではないかとする説もある)な仲間はいつもそばにいるけど。

ここからは自分への慰めでしかないが、恋人という特別な存在も作らず、日々の不安や葛藤を自分で処理している私はスゴいのではないかとも思う。逆に。
そしてまた、交際経験のある人は言う。
「両思いになった瞬間が1番楽しい」と・・・・・・
無知は至福である。つまり私は至福である。
なーんだ私が1番幸せなんじゃないか。恋人持ちをリア充と初めて呼んだやつは本当のおバカさんだな・・・・・・

そういうことにして、私はまたしばらく恋愛を忘れようと思った。

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