見出し画像

還暦。

明後日、父が還暦を迎える。中学卒業と同時に家を飛び出し、自動車の整備工場で働きながら一級整備士の資格を取り、結婚して子供を作って、マイホームにマイカーを手に入れて――、と人生を歩んできた父。息子として、誇りに思う。

いっぽう私は、理由はまったく異なるが、奇しくも父と同じく最終学歴は中学校卒業。しかしそのままひきこもりニートになり、何年も何年も親の脛を齧り続けている。

現代ならテレビや新聞に載るんじゃないかといういじめを受けていて、自分の力ではどうすることもできず、何とか逃走し、生き延びることだけを考えていた小学生、中学生の頃。中学を卒業して、もう学校に通わなくても良いのだと安心しかけたときには成人していて、あっという間に「こどおじ」になっていた。

それが攻めた人と逃げた人の違いだと、あなたは私に自己責任論を突きつけてくるかもしれない。自分自身「これは自分の選択により導き出された人生だ」と思わなくもない。ただ一方で、まだ何の力も持たない小さな子供だったのだから、「逃走する」という選択しか取ることができなかったのだ、とも考えられる。

しかし、どちらの考え方でも、最終的には「で、今はもう大人でしょ?」というところに帰結する。大人になったのだから、これからの人生は自分で責任を持って選んでいけるよね、と。

私の前には、”あの頃”の傷が癒えないまま、"あの頃"の恐怖が消えないまま、歳をとったという現実が横たわっている。

二十年近く経ち、テレビでは、何とか県でまだ学生の子供がいじめをされて自殺をしてしまった、などと報道されるようになった。それらの報道を受けて大人たちがそれはけしからんと言うようになった。まるでこれまではそのような問題はまったくなかったかのようだった。

年を食った今でも、自分に危害を加えてきた人たちを一人残らず殺して回りたいという気持ちが強くある。その思いが、ブラックホールのように、周辺にある人間らしい気持ちや思いを飲み込んでしまい、そのことしか考えられなくなることもある。

テレビで報道されていた、あのいじめられて自殺をした人のように、自分も自殺をすることができていたとしたら、心のなかにブラックホールもできなかったし、親の脛を骨になるまでしゃぶり続けることもなかったし、中卒で、ずっと家族のために頑張ってきた父親の還暦を、何とも形容できない不甲斐なさとともに迎えることもなかったはずだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?