見出し画像

ちょっとしたことでパニックに陥るのはどうにかならないかなぁ。

1時間ほど前に「Chromebookは外出先でどれくらい使えるのか、調べてきます」というnoteを書き、わりにハツラツとした気分で家を出ました。

電車に乗ると「平日にしてはお客さんが多く混雑」していたんです。

これでもうダメでした……


まず心拍数が急激に上昇して息があがり、頭痛と吐き気がして、体が震え出しました。パニックに陥ると「音や光」に過敏になります。何を見ても眩しく、どんな些細な音も耳元で聞こえてくるような感じがするんです。

と、ここまで書いて……ぴたと手が止まってしまいました。


パニックに陥っているときの記憶は「さっきまで見ていたはずの夢を目覚めた瞬間に忘れてしまう」のと同じように、消えてしまうのです。

Chromebookを開き、キーボードをぱちぱちとやりながら「つい先ほどのこと」を思い出そうとしているんですけど、頭のなかに残っているのはパニックに陥ってしまったという衝撃だけで、その内容はまったく思い出すことができません。

これが「パニックというものの特性」なのかもしれませんね。


思い出せない以上、自己分析をして改善しようと意気込んでも、それは雲をつかむような話です。

かといって「パニックの衝撃」や「抵抗のできない不快感」をぽかんと忘れてしまうことはこれまたむずかしい。

耐えるか、薬に頼るかしか道はないのかしら。

ぼくは病院に行くのもひとりでは恐ろしいので、行くとしたら母と一緒に……ということになるんでしょう。しかしながら「母と一緒」でもすごくすごくしんどいんです。


世間には、海やプールのなかに深く潜っているときのような息苦しさがあります。

多くの人の背中には大きな「酸素ボンベ」があるのに、ぼくにはそれがない。多くの人はしっかりと耳抜きができているのに、ぼくは上手くできずにもがいている。

そういう感じがするんです。


ぼくには、自分が「人類」なのかどうかすら、疑わなければならないときがあります。

人間たちの間で、世間で、社会で「当たり前」とされていることが、ぼくにはまったく当てはまらないんです。

カラオケやボーリングや飲み会に行っても耳をふさぎたくなるような破壊的な音に気持ちが悪くなるだけですし、大好きな人とだって、1時間も一緒にいるともうひとりにさせてという気持ちになります。

かといって皆で盛り上がっているときにぼくひとりだけ「ヘッドホン」をして心地よい音楽を聴くというのも失礼ですし、ぼくはいつも、耳障りな音と、人々が胸のうちに抱いている思惑に耐えながら、一刻も早くこの「会」が終わらないかということばかり考えているんです。楽しめるワケがありません。

「人間」がそうして楽しんでいると、また「楽しみを共有」していると、ぼくは自分は人類であって人類でないのかもしれない……と思わずには居られないんです。

思えば、そういうことは幼稚園に通っていたころからあったなぁ。


同じような性質を持つ人がいましたら「自分はこうしているよ」ということをコメント欄にて教えていただけると幸いです。


著者情報

・Twitter:黒井@ニートブロガー

・ブログ:たのぶろ@今日より楽しい明日を

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?