喪が持つパワーに圧倒されてた話
久しぶりにnoteを書くので緊張しているわたしがいます。
いや、ここんとこ1ヶ月くらい書こうとしているネタがあったんですが筆が進まず・・・この文章も書き上げるのにどれぐらいかかったのか。
文章のスピードアップが当面の目標ですね。
5月のファイナンシャルプランナー(FP)3級を受験して、無事に合格することができました。
が。実は、その試験を受けた日に祖母が亡くなりまして。
一般的に四十九日の法要を持って忌明けになるんですが、それが7月の頭にありまして。
亡くなって7週間の四十九日間の「忌中」の期間を振り返ると、
いろいろなことが捗らなくて、脳内に靄がかかってるような日々を過ごしていました。
明けた後からまた以前のように色々なことに対してやる気が出たり生活が整ったりしたので、「喪」が持つパワーの強さというのを実感させられた次第です。
と、いうことで。
今日は“祖母が亡くなってからの四十九日”について書こうかなと思います。
祖母のこと
祖母は2020年の始めくらいに転んで骨折したのをきっかけに入院してしまい、その後からコロナ禍が始まり。
今までは自分で歩けるしお風呂も入れるしってことで、長らく母が自宅で介護(というより身の回りの世話くらい)をしていました。
ところが入院生活で一気に要介護のレベルも1から5へ上がってしまったらしく。
退院後は介助がないとお風呂も入れられない状態までなってしまったので、施設に入れることになり。面会制限があったので2年くらい顔が見れていない状況でした。
なかなか痴呆も進んでいたし、
「2年も顔見てなかったら私の顔なんて忘れてるんじゃないかな〜・・・」
と、まあまあ気がかりではあったんですよね。
そんな中、5月のFPの試験に向け、毎日仕事後に勉強して追い込んでいたある日のこと。
急変した容態
「おばあちゃんの容態が良くない、お医者さんからも覚悟してって言われた。施設の方も一般の方の面会は断っているが、うちは特別に認めるらしいから面会してあげてほしい」と母から連絡。
ついに来たか〜・・・と言った感じでした。その時すでに試験の1週間前くらい。
職場から車で1時間くらいはかかるので面会に行くなら往復で2時間。
毎日2、3時間勉強して本番に間に合わせるというかなりタイトなスケジュール勉強したんですが、おばあちゃんの面会は行ける限りたくさん行ってあげたい。
FPの試験は何回でも受けられるけど、おばあちゃんはいつまで会えるかわからない。となると勉強時間はもう削るしかないな!
てことで仕事後は面会に通い。
おばあちゃんの容態は波があって、見に行く日によって元気な日と本当に「無」な日がある、てな感じ。
それでも何だかんだで1週間くらいは持ってくれて。
試験前日はさすがに行けなかったんですが、前々日に面会に行き、
「試験後また来るからそれまで頑張ってね!」って言って帰ったんですよ。
試験の間休みに鳴る携帯
そして迎えたFP試験の当日。
FPの試験は午前と午後に分かれてて、
午前は「学科」、そのあとお昼休憩を挟んで午後に「実技」を受けます。
実技といっても筆記試験なんですけど。計算問題が出たりする感じ。
午前の学科試験は試験時間2時間のうち、1時間経過したら退出できるシステム。
余裕で終わったので速攻退出して、午後の実技に向けてご飯を食べながら勉強するぞ〜ってカフェに居たんですよ。
そしたら鳴る着信。母から。少し嫌な予感。
取ると案の定
「今朝、施設の人に看取られて、おばあちゃんが亡くなった」と。
正直、かなり動揺しました。
一瞬頭真っ白になって勉強が頭に入らなくなったけど、どうにか頭を切り替えて午後の試験も余裕で解き終わり。
本当なら「終わった〜〜〜〜☆」って達成感に包まれるところでしたが、すぐに実家に向かいました。
父の経験があったからこそ
3年前に父が亡くなったのを経験しているので、その時と比べたら、ある程度すんなり現実を受け入れられたかなと思います。
ある程度覚悟を決める時間はあったので、「めちゃくちゃ悲しい」という感情よりも「楽になれたのかなぁ」という感情が近かったかなぁという感じ。
そして、葬儀告別式の対応が始まります。ほんとこれが忙しい。
これも父の時に一度経験しているので、私たち家族もある程度の流れは覚えていたので、前よりはしんどくはなかったという感じ。
まぁ、慣れたくはないけどね・・・
あっという間に告別式・初七日が終わり、そこから四十九日まで「忌中」の期間となりました。
ここからが本題。
「忌中」の間の自分が別人のよう
今思えばこの四十九日間、毎日めっちゃ疲れていた気がします。
今まで通りのパフォーマンスが全くできない。
どう違っていたかをまとめてみました。
【脳内が片付かない】
思考が全然まとまらなくて、今やるべき事の優先順位がつけられない。
やりたい事もたくさんあるけど、お家に帰ってきたあとは何もする気が起こらない。
普段なら「とりあえずすぐできる事から片付けるぞ〜!」ってな感じでサクサク片付けていけるんですが、
何から手をつけていいかわからず、結局何もしないで寝てしまう、みたいな・・・
ゴミ屋敷に住んでる人の話で、
“片付けないといけないのはわかっていても、どこから片付けていいかわからないため、結局片付けられず、さらに散らかってしまう”
ていう状況になると聞いたことがあるけど、脳内がそれに近い感じ。
脳内が片付かなくて思考を諦め、部屋も荒れて、生活が乱れて、、、
ちょうど五月の頭に引っ越しをして部屋も片付いていない状態だったのも重なり。
いつまでも部屋は荒れたままの状態でした。
【食欲が乱れる】
そうすると食事も適当になるのでめちゃくちゃ食べてしまい、体重もめっちゃ増えました。
普段は自炊派なんですが、片付ける意欲が湧かないからコンビニで買って済ますか〜的な事が増え。外食もめちゃくちゃした気がする。
体重が増えて身体が重くなると、気分も重くなり。
生活に対する意欲がさらに削がれていった気がします。
ストレス発散で飲みにいってめちゃくちゃ飲んでしまって(元々悪いのに)酒癖が悪くなって周りに迷惑をかけ・・・
晩酌しないタイプだったのに夜は飲まないとやってられない状態に陥り、やたら飲んでは食べを繰り返していました。
体重計に乗ってはいないけど体感で3kgは太ったと思う。
こうやって書き出すと、メンタルやられてたな?て思うよね・・・・
【やたら怪我した】
もともと飲みに行ったりしたら生傷作って帰ってくるようなやつなんですが、
お酒飲んでないときに、やたら転んだり怪我してました。
本当にびっくりしたのが、1週間の間に
・両手が塞がってる時に階段を踏み外して脛で2、3段スライディングする
・重めのドアに右手人差し指を挟んでめちゃくちゃ内出血
という怪我だらけウィークが発生しまして。
さすがにこの時は職場の人にも「なんかやばくない?お祓いしたら?」って言われましたね・・・
この時は自分が「忌中」って意識がなかったので、「ほんとツイてないわ〜〜〜」て思うぐらいだったんですけど。
【普段やらないやらかしをした】
そしてこれが極め付けというか。無事に四十九日の法要を執り行い、
法要が終わったその日の夜に飲みに行ったんですね。
そこでまぁあまり良い酔い方をせず、帰りのタクシーで一緒乗った人にちょいと怒ってしまい(ほんと嫌な酒癖)変な感じでタクシーを降りたんですよ。
そんでタクシー降りて2、3歩歩いて気づいたんですよ。「あ、スマホがない」って。
今まで数々の酔っ払いエピソードが残ってる私ですが、
いつも記憶がなくてもちゃんと帰宅してて、財布とスマホと家の鍵は失くしたことがないんですね。
私の周りには何回も免許証やクレジットカードを再発行しているような、酒乱仲間が多いんですけど(類は友を呼ぶ)、
そいつらにいつも「記憶は無くすけど物は無くさない」とドヤっていたんです。
「スマホなくしたかも」というこの状況は、
その(クソしょーもない)アイデンティティが崩れる危機的状況なんですよ。
しかも命の次くらい大事なスマホ。スマホ依存症の私からしたらガチ凹み。
まぁ結論から言うと翌朝スマホは無事に見つかるんですけどね。
「スマホない・・・終わった・・・」と思いながら帰宅して、一気にシラフになり、冷静にiPadでインスタにログインしてストーリーで「スマホ無くした」って発信。
それを見た友達が複数名わたしの番号にかけてくれて、その夜は取らなかったけど、翌朝の10時ごろに着信に応答してくれて、タクシー会社の事務所に預かってもらっていると教えてもらい、事なきを得ました。
「iPhoneを探す」をオンにしてなかったのでiPadから探すことができなかったのが悔やまれる。。。(戻ってきてすぐONにしました)
いやーでも本当SNSって万能ですね。デバイスがあればやりとりはできるから。スマホないと不安すぎて朝の6時には目が覚めちゃったもんね、朝からDM付き合ってくれた友達には本当に感謝です。
【久々に走りに行ってあれこれ気づいた】
無事にスマホは見つかったものの、やらかしたな〜〜、、、と本気で凹みまして。
その翌日、「久しぶりに走りに行こう」って思って忌明け初のランニングに行きました。
もともと走るのは趣味だったけど五月は梅雨時期で走れず、六月半ばに梅雨が明けてもなんかやる気が出なくて、長らく走らない時期が2ヶ月くらい続いたてな感じ。
やる気が出なかったのは前半に書いた通りですね、やるべき事ややりたい事に取り組む気力がとにかく起きなかった。
ランニングは私のライフワークみたいなもので、いつも走りながら思考を整理して
・本当に今やりたいことってなんだろう?
・今後どうなりたいんだろう?
など、自分自身に向き合う時間をとっているんですね。
なので四十九日明けて久々の自分と向き合う時間。そこで気づいたのが、
・四十九日の日の23時ごろにスマホ無くした
・四十九日明けた翌朝にスマホが見つかった
これって、スマホと一緒に色々な悪いものを置いていったってことなんじゃ?って思ったんですよね。
そこからこの1ヶ月半を振り返って、上記に書いたようなことが立て続けに起きてたな・・・と気づいたわけなんです。
もしかしたらこれは「喪」が持つ負のパワーにのみこまれていたのかなあ、なんて思うわけなんですよ。
んで四十九日の忌明けと一緒に私の元にスマホが戻ってきたという解釈。
まぁほんとのところは誰にもわからないので、きっとそういうことなんだろうな、と自分の中では解釈しております。
結局は時間がしか解決しないこともある
そこからはランニングの習慣も復活でき、以前のように週1、2回は走ってます。自分の思考と向き合うことができて、一気に部屋も片付きました。
食生活も以前のように整えることができて、身体も2、3週間でかなり戻りました。
身体が軽くなると色々なことにフットワークが軽くなる!
まぁ喪中のせいにするわけでは全くないけど、
「その時はなんだか苦しいけど、抜け出して振り返ると、なんだそういうことだったのか」
と気づくことってたくさんあると思うんですよね。
自分の力でコントロールできないことには抗わず、嵐が過ぎ去るのを、時間が解決するのを待つしかないなと思います。
これってあらゆる苦しい出来事に通ずることだと思うし、
今後も、なんだか苦しいな、しんどいなって時期が来たら、今回の経験を思い出していきたいなと思い、文章にしたためましたとさ。
止まない雨はない、的なやつですね。
身体がどんなに重くなっても絶対に戻せる、という自信だけは付きました。めでたしめでたし。
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