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日記(混沌)


まつげがよく伸びた。
瞼をキラキラのグリッターで彩るのはもしかしたら1週間ぶりとかなのかもしれない。
最近惰性で過ごしていた、ということに気付くのはいつも少し抜け出そうとする時だけだ。

ときめきは自分の心次第だと改めて思う。
「想像してみて、ときめかない?」
私のおまじない。扉を開けておかなきゃ。

最近は自分の人生なのに規定通りに動かされるだけのプレビューを見させられて、自分で選択をして進んでいく本編のないゲームをプレイしているような日々だった。
そんな日々だと気付いていながら、本編へ行けるボタンが隠されているんじゃないかと探すことはしなかった。


私は受動的な方だ。
今までの自分ならそれがあたかも悪いことかのような表現をしていたと思うが、人類全員が社会への上昇志向があるわけもないしもしそうだったらバランスが取れないだろうという結論に最近至った。私の、ひとまずの、結論である。

欲があまりないことがコンプレックスだったし、その中で欲が生まれたとき、それに応えてあげる方法をよく知らず押し潰すように何度も自分を苦しめてきたように思う。
別に抜け出せたわけでも、こうするといいですよなんて人に渡せるものもないが、気付くということを、人に笑われるようなくだらないことでも何度だって自分だけは受け止めてあげるということをしたい。そのための記録だ。

なのに記録に対する執着がここ最近はなくなっていた。
多くを話す人も全てを伝えることはできなくて誤解も受容できていたはずなのに、一部だけ切り取られて知ったフリをされるためだけの材料になるんならしなくていいかって言語化も記録もしなくなっていた。

もともと頑張らなきゃ何もできないから(人はみんなそうですか?)執着がなくなれば当然私の手からは全てすり抜けていく。一生懸命拾い集めて落とさないように握りしめていたはずの手札がない。
もともとなかった欲がもっとなくなった気がする。それがどうしようもなく怖くなる。面白く生きていたいという心と何に対しても執着のない自分はうまく噛み合わない。

よく怒っている人が羨ましい。心を捧げることができない。興味がない、知らないということは私の世界にはとどまらないということで、じゃあ私の心はどこにあるのか。

人に話すという思考自体がない私は以前のnoteにも書いたように記憶も思い出もあまりない。
人に話さないと、聞いてもらえないと、知ってもらえないと、自分がどんなに大切に思う記憶や感情でもうまく残っていかない。ひとりで生きていけないってそういうことなんだと思う。

存在するというのは「知る」ということで、このままでは私が、私の感情が消えてしまうということへの強い恐怖が、"過去"になった。
知ることが存在することだという持論がそこに在るということが唯一私を引き留める理由になっている。
あんなに依存が恐ろしかったSNSが唯一の接点のように思う。世にいう"大人"になるってこういうことなのかもしれない。私はもう"大人"だから、"子供"のために社会が用意してくれる箱がない。受動的な私にはもう何もない。

その上用意された箱にうまく入れない子供だった。ご親切に敷いてくれたレールからいつも外れるガキ。だって舗装された道だろうが大勢と一緒に歩くのは難しいんだもん。ぶつかったり転んだり、足を引っ掛けられることだって当然あるはずだ。
正解なんてものはどこにもない。もしくはぅちだけの正解とぁんただけの正解が無数にある。

言葉は恐ろしい。
対話は恐ろしい。
ただどちらも私が大切にしたいものだ。

言葉が先行する(自分の意見より他者評価に意識が向く)と制限されていく。

その正解はどこから見たものなのか。私がどうありたいかではなくどうあるべきなのかになっていないか。
広義の中で自分の定義を見失わないということ。

「大丈夫、誰もあなたを変に思わないよ」
「そのままで君はぼくの全て」
遠いと思っていた言葉たちが近付いていく。

どんな手段でも人と違ってもずっと受け取れなくても、大切なものを見逃さないように、それだけは守り抜こう。正しくなくてもいいから。

人に話すのは、知っていてもらうのは、そうして初めて自分の形が浮かび上がってくるからであって、ありふれていて誰もが知っていて人に笑われるようなことでも私を構成する大事なもので、だから大丈夫だよって自分に言う。

最近は無への足掻きとしての思考という感じがする。人がコミュニティに属して噂話とかしてるのも暇つぶしなのかもしれないなと思った。人生が暇つぶしだったとして、その暇つぶし、いい感じに楽しくしちゃうぞー。


このnoteには明確な言いたいことも生産性も意義もない。私はすぐに意義を探そうとする。自分だけの何かがなければ存在を許されないと思っているところがある。そんなことないよ。クソくだらねえことも、クソくだらねえから大事にしたい。

好きなもの、大切にしたいこと、心ときめくもの、嬉しかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、怒ったこと、なんにもなかったこと、書き留めておこう。

周りから見たら何にもなくても、誰の記憶にも残らなくても、私が私として生きるために。
私なりに、私の心を見つけるために。

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