noteの設計にはやさしいリズム感が意図されてるのか、それとも・・・
つぶやきでも少し投稿したんですけど、noteを始めてからというもの、初めてブログらしい使い方が出来てるなって思いました。
私が考えるブログらしい使い方って、検索して見つかったキーワードの答えが書いてあるブログから必要な情報を頂くというものではなく、自分も発信すると同時に他の人の発信を見て知的な刺激を受けるというものです。
更にいうなら、その情報を得る内容は自分でコントロール(カスタマイズできる)ってこと、もう一つは『思考の間』が許されているか、です。
SNS的なものとの違いは、最所あさみさんが言ってましたが、『考える』というプロセスが存在することで時間の余裕ができて、SNSより広めな距離感があるからかなぁと思っています。
最所あさみさん
『「考える」とは、自己と向き合う時間』
SNSって現代的なスピード感があると思います。
そこには感覚的なものが優先されるからか、『考える』というプロセスはワンテンポの"間"を生むことで、リズム感がズレるから、自分も他人もノリきれなさを生むリスクがあるんじゃないかと思っています。
もちろん、独自の間を活かして面白い投稿をする人もいますけどね。
まぁ自分がノリよりも”考える”ことに重きを置いてるからだということも、そう考える要因になっているとも考えられます。
自分にとってそういうリズム感がnoteだと丁度良いからということも、ブログらしい使い方が出来てるって事に通じているんじゃないかと、ふと思ってこのnoteを書いているわけです。
年齢によるものなのでしょうか?
スピード感よりも、間を楽しむ。
音楽に例えるなら、ライブを楽しむと同時にそのミュージシャンが発信している情報の全体像も掴みたいという感じでしょうか。
「そんなに考えないでドンティンクフィ~ルだよ♪」
というやさしいツッコミが聞こえてきそうです。
全然まとまっていないんですけど、noteを使ってて感じたリズム感が、自分にあってるなぁ~っていう話です。
このリズム感についてもう少し研究してみようと思います。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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