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愛し君へ

 俺は最近年上のおねいさんに欲情(ムラムラ)します。ここで勘違いしないでほしいが、年上のおねいさんといっても、誰彼構わずムラムラするわけではない。変態であるのは認めるが人物限定の変態だ。俺がムラッとくるのは、朝良く見かけるようになった、近所の団地に住んでいるらしい『一二三実里(ひふみみのり)』さんだけだ。
 爽やかな朝日を浴びてキラキラと眩しく光るその人は、いつでも背筋を凛と伸ばして歩いている。挨拶をすれば少し驚いた顔をして(それがまた非常に綺麗なのだ)魅惑の低音(しっとりエロボイス)で答えてくれる。いつも夜のお世話になっている動画や雑誌のおねえいさんも霞むような、色気の溢れる美声である。
 葡萄の飴のような瞳はこれまたたっぷりの睫毛に覆われ、その透き通った色を最大限に魅せている(魅せられるのは主に俺)。お洒落なセルフフレーム眼鏡がそれを僅かに隠すその様はちらリズムの真骨頂だ。まるで美の女神が手ずから造形したようだと、本気で思う。
 まぁ、簡単に言うとアレです。現在十四歳の世津叉琢磨(せつさたくま)(つまり俺)はこのミーノおねえいさんに恋をしているのだ。
 そもそもこのおねいさん、三週間ほど前に隣の団地に引っ越してきたばかりのようだ。ようだと言うのは、三週間前から俺が実里さんを見かけるようになり、本当に三週間前に引っ越してきたのかは分からないからだ。もしかしたら三週間前から俺とミーノさんの生活サイクルが重なるようになっただけかもしれない。
 黒地に白のドット柄のシンプルなノースリーブワンピースに、薄手のニットカーディガン。緑の石がトップにはめ込まれたネックレス。まるで漫画のヒロインが花を背負って登場するかのように俺の前に降臨したのだ。とにかく、バスケとアニメを愛する少年だった俺は麗紅さんを見かけた瞬間フォーリンラブ(漫才の方ではない)。
 ちょうどゴミだしの時で、ゴミの臭いに囲まれていた事は、都合よくカットしておく。何とも言えない幸福感と恥ずかしさ、普段感じないような己の動悸。これには恋愛小説の過剰表現は本当だったのかと再び判明した。
 隣の団地は大きく、階層が高くてこの街でかなり目立つ建物だった。高さのせいかその団地で何度か飛び降り自殺があったり、隣人トラブルで乱闘騒ぎ、変なヤツがウロウロしてたり、その団地にはお約束のようにいろいろ雑談のネタに苦労しないくらいだった。だというのに、おねえいさんがいると言うだけで、運命の場所に変わってしまう。運命はどこで待ち伏せしているかわからないものだ。
 朝はミーノさんと挨拶してあわよくばそれ以上の会話もするために少し(一時間以上)早く家を出る。帰りは自室の窓から自分よりも帰宅の遅いミーノさんを見守り(notストーカー)、休みの日はミーノさんの家を眺めて(not覗き)一日を過ごすのだ。
 最近のオカズはもちろんミーノさん(言い訳ではないがまだメジャーなジャンルしか試していない)で、最近はついに夢の中までミーノさん(できたてヨーグルト添え)だ。
 そして、今日。俺はステップアップしようと思う(決してストーカーに、ではない)。つまり――知人以上になる!

「せ、世津叉琢磨、今日付けで十四歳です!」
「…………」
「アニメと炊き込みご飯が好きです! 特技はバスケです! 勉強もそこそこ出来ます! 俺と友達になってください!」
「…………」

 正直に言おう。心が折れた。好きな人に好印象を与えるためにいいところだけをアピールしたし、年上に受けがいいだろうと不自然にならないように僅かな無邪気さも演出した。でも無反応ってあれですか、ツンドラですね視線が最高! しかし、それでも視線をずらさなかった俺の勇姿を神は見ていてくれた。

「君はバスケをしているのですね?」

 少し驚いたように首を傾げるミーノさん(女神)の姿に心が折れていたことも忘れて舞い上がった(たぶんお花畑に)。神様ありがとう、ミーノさんの次に好きだよ! 恋愛感情はないから安心して! と心の中で感謝した。

「すみません。驚いて反応が遅くなってしまいました……気を悪くしてしまったでしょうか?」
「そんなことないですっ!」

 俺はぶんぶんと首を振って大丈夫だと伝えてミーノさんを安心させる。

「……ポジションを聞いてもいいですか?」
「PGっス! 結構上手いんですよ」
「そうですか。私も以前やっていましたがSGでした……例え負けてしまっても諦めずに続けて欲しいですね」

 ミーノさんの初めて(と言うとなんかヤラシイ)の微笑みは大変神々しかったです。その笑顔と先ほどの言葉とを考えてもしかして試合に誘ったら応じてくれるだろうかなんて期待してしまう。
 いかにもインテリっぽいミーノさんはSGだったと言った。ならPGのプレーで見るのはきっと、ボール回しとゲームメイクでSGへどれだけボールを渡し、得点へと繋げられるかだ。……しばらくはゲームメイクとパス回しを重点的に練習しようと誓った。

「いつか! 俺の試合を観に来てくれますか?」
「……観にいけるかは分かりませんが、一緒にバスケはしてみたいですね……ゲームメイクに興味があります」

 少し照れたように視線を彷徨わせ、ミーノさんは綺麗な手を口元に寄せた。何これ可愛い。そして、気がついた。俺の誇る動体視力は、無能だった。だってこの三週間、一度もそれに気付かなかった。それ、つまりミーノさんの左手薬指に光る金のリングに。
 虫除け。だなんて、ミーノさんは思わせてはくれなかった。きっと無意識だろう、大事そうにそのリングを指で撫でて微笑むのだから。ピアノの演奏らしき着メロが、ミーノさんの意識を俺から引き離した。

「すみません、電話に出ても構いませんか?」

 そのリングと想い人の存在に気付いてしまっても、魅惑の低音は腰にきた(エロ過ぎ万歳)。

「タクマくん?」

 とても聞き覚えのある名前が聞こえた。それはそうだ、十四年間親しんだ自分の名前なのだから。心持ち柔らかなミーノさんの声で自分の名前を呼ばれたわけではあるが、ミーノさんの意識は電話の向こうだ。

「あぁ、もう帰れるはずですよ……ふん、私がしくじるとでも? 大人しくそこでクランペットとお茶の用意でもして待っていなさい」

 言葉のすみずみに相手への想いが見え隠れしていて羨ましい。確かに目の前にいるのは俺なのに、心を支えているのは電話の向こうの『タクマくん』なのだ。さっきまでの上昇した気分はもう降下していた。ミーノさんはどうしてさっきまで俺の話を聞いていてくれたのだろうか? いっそ希望すら持たせてくれなかったら良かったのに、なんて自分勝手なこと――。

「すみませんが、家族にそろそろ帰ってくるように言われてしまいました。今日はもう……」
「そう、ですか。あの、一二三さん。遠い所に住んでいるんですか? もし近いなら、いつか試合、観に来てくれませんか?」

 きょとり。そんな幼さを漂わせるような擬音語が似合いそうに目を瞬かせたミーノさんは次の瞬間、笑った。きっと周りから見たら、眉を顰めただけだろう。しかしミーノさんをずっと見ていた俺にはわかった。

「いつになるのかはわかりませんが、絶対に見に行きます」

 『絶対』。その確かな言葉に唇を噛み締めた。彼女はきっと言葉を翻さない。だから、あの電話越しに微笑んだ、『タクマくん』の所へ帰るのだろう。何があっても。

「残り少ない自由時間を、せいぜい楽しんでおきなさい――琢磨くん」

***

「お帰り、ミーノちゃん。『俺』って可愛かったでしょ?」

 玄関でニヤニヤした笑みを浮かべる恋人にため息をつく。

「君、分かっていましたね……?」
「いやー。もしかしたらそうなのかなー? って最近思ってさ。分かってたわけじゃねーよ」
「そもそも過去に飛ぶだなんてどんな陳腐なSFですか。ご都合主義にも程がありますよ。一体どうなっているんですか?」
「ん~わかんないけどアレじゃない? 俺がミーノちゃんに会うための運命なのだよ! ……なーんてな」

 相変わらず適当だなと威圧するように睨んでみれば、琢磨くんは直ぐに両手を上げて降参のポーズをとった。

「だってさ、運命だったら嬉しいなって。俺はミーノちゃんに出会って今じゃこうして恋人になるのが運命だったら嬉しいんだよ。他の世界の俺もミーノちゃんの隣にいないと嫌だ」
「馬鹿ですね」
「うぅ……っ」

 目の前の馬鹿と、真っ赤な顔で紫君子蘭を渡してきた少年を彼とだぶらせる。――私は、今隣に琢磨がいればそれだけでいいのだ。だから、他の世界の私の隣に誰もいなくても気にしないのに。

「それにしてもロリなミーノちゃんも可愛かったよ」
「死ねばいいのに」
「生きる! 今の俺は現代の藤原義孝だよ」

 君がため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな――

「強欲は身を滅ぼしますよ、琢磨くん」
「それでもだよ、ミーノちゃん。何てったって君の全てを愛したい」

 いい顔をする残念なイケメンに呆れるフリをして、私は歓喜に顔を歪めた。
 無意識なリターンマッチ。だが負ける気はしない。

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