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やましたの戦争

 ニンゲンの顔を成しているかどうかは鼻の形で決まる。
 その油彩にはたくさんの顔がある。私の思いつきが正しければ、キャンバスに描かれた顔はすべてニンゲンである。中には角を生やした顔もある。ウシではないのかと問われても、角を生やしたニンゲンに違いない。何より鼻がウシでない。ニンゲンの鼻を生やしたウシである可能性はどうか。でも、顔が扁平じゃない。いや、肌色だし。ニンゲンの顔を成しているかどうかの定義が揺らぎはじめる。気の利いた閃きのように思えたのだよ。未だ誰も気づいていない発見なのではないかと胸をふくらませたのだよ。この斬新な自説をどうにか固辞したいと下唇を噛む。しかし、どうやらニンゲンの顔を成しているかどうかは鼻の形だけで決まらない。必要条件でも十分条件でないというやつか。顔が扁平でないと。肌色でないと。嗚呼、今どき肌色なんて言ったら世間に怒られるのかしら。
 たくさんの顔にはそれぞれ表情がある。皆どこか愛らしい形代のように硬直している。これが表情と呼べるのかしら。決して変化することない顔つき。表情を成しているかどうかは顔面の変化量で決まる。どうだ。
 瓶のコカ・コーラが立っていた。かつて酒屋の前には瓶ジュースの自販機があった。八〇円で購入しても酒屋に戻せば一〇円がバックされる仕組み。コンテナから引き抜いた空き瓶をカウンターに持っていったらこっぴどく叱られた。なんでバレたのだろう。
 テーブルには小銃が置かれていた。さすがに小銃の思い出はない。
 ニンゲンたちには手首から先がない。コカ・コーラを持ち上げて喉を鳴らすことも、担え銃で行進することもできない。ミリタリーブーツを履いたまま横たわる男の体躯、直立のまま顔を覆われた女の身体、丁髷のお面は脚に蝙蝠傘を履いていた。誰しも手首から先がマネキンのように取り外されている。束ねられた絹は滑らかな消化管のようにも見えるが、血の一滴も流れていない。股座から星条旗の棺。ここはただのガラクタ置き場なのかもしれない。
 ふと気になってスマホを取り出す。「コカコーラ」「誕生」で検索をする。「コカ・コーラ・ジャパン」のサイトから「よくある質問」がトップに現われた。
「コカ・コーラ」は、一八八六年五月八日にジョージア州アトランタで誕生しました。
 さらに「コカコーラ」「日本発売」と検索する。今度は企業情報のページがヒットした。
 一九五八年(昭和三二年)五月八日、カスタマー第一号である社団法人 東京アメリカンクラブに「コカ・コーラ」二〇ケースを納品。 日本での「コカ・コーラ」事業にとっても記念すべき「『コカ・コーラ』の誕生日」となりました。
「めちゃ最近だな」
 山下菊二が描いたこの異様な油彩は「転化期」という題名でベトナム戦争を描いている。コカ・コーラは開戦してから日本へ到来したことになる。油彩として描きたくなるほど米国の戦争を象徴するものだったのかしら。(おそらく無断でアップロードされたであろう)テレビ番組によれば、ベトナムでずたぼろになった兵隊の亡骸は、日本で形を整えてからアメリカへ運ばれたそうだ。それを知ると作品の見方も大きく変わる。
 皇軍の一兵卒として先の侵略戦争に加担させられた二〇歳の菊二は、日常の輪郭を失い極限状態へ追い込む戦場を、ヒトと植物が融合するように描き、黒い塊となる狂気を表した。そして、戦場での殺人、暴行、虐待、差別を拒否できなかった自己への呵責を、傷のように抱えながら戦後を生き続けた。
 絵画を観て回るだけで胸やけとともに頭痛がする。逃げ出したくなる思いで順路を急げば、暗幕の掛けられた一画を見つけた。レンタルビデオ屋の奥に潜む一八歳以下お断りの秘境といった風情。黒いカーテンに指をかけて隙間に目を細めた。誰もいない薄暗い部屋であった。どん突きには二枚の扉が張り付いていて、監視カメラが真っすぐこちらに向いていた。助平心で覗きこんだことは既にばれている。ここで引き返すのもどこか気まずい。私は覚悟を決めて薄暗い部屋へ踏み込んだ。そして、助平心ではないのだと仁王立ちでカメラをじっと見つめ返す。レンズの向こう側から一体どんな田舎者たちが覗きこんでいるのだろう。そんな思いに駆られるのは、菊二の残した「わたしを見つめる眼」という随筆のせいだ。
 町中がおたがいの生活の背後に廻って、そっと覗きこんでいるような意地悪い視線を感じはじめていました。家と家とのからまり、自分の子供を悪童から守ろうとする強い監視癖、または長い因襲(古いしきたり、習慣)的な対立といったものが、歩いているわたしを吸い込んでしまいそうな不安感から逃れるように、裏通りの路地を歩きがちになっていったのでした。表通りの旦那衆のひややかな眼光と比べて、路地裏の少々傾いたような家の住人の自由で屈託のないまなざしが、私の気持ちを鎮めてくれました。
 監視カメラの両脇に二枚の扉、それぞれ案内板が立てられていた。私は声に出して読み上げる。
「捕らわれて連れ戻された逃亡者」
 扉に耳を当てれば、ザックザックとシャベルで土を掘る音が聞こえる。
「いつもながらの食料徴発」
 扉に耳を当てれば、鶏が咳き込むように喉を鳴らす声が聞こえる。
 徴発とはなにかしらと再びスマホを取り出した。
 戦時などに軍が人民から物資・人力を強制的に取り立てること。
 要するに掠奪か。
 どちらの展示が見たいだろう。自分に問いかけてみれば、なんでこんな展覧会に足を運ぼうと考えてしまったのかというところまで遡る。菊二の残したルポルタージュ絵画、従軍体験を綴った文章、どれをとっても何一つ気持ちのいいものではない。観る者の安易な解釈を拒み続ける絵画、それに比べて従軍体験は比較的易しい文章で綴られている。余計に胸糞悪い。展示されている絵画の大半は既に図録でじっくりと眺めたものばかりであった。それでも、菊二が筆を運んだキャンバスを直に眺めることができるならば興奮するじゃない。晩年、宿痾としての脊髄性進行性筋萎縮症に苦しみながらコラージュという手法に取り組んだ。切り貼りされた細部からその苦しみを味わってみたいじゃない。私の性格の悪さがここに足を運ばせるのだろう。
 二枚の扉の先に何が展示されているのか。それはある程度予想ができている。文筆作品の展示とは珍しい。菊二は日中戦争で台湾軍に入隊させられていた。
「捕らわれて連れ戻された逃亡者」
 俘虜が《菊の御紋章》という大元帥閣下の刻印がされた歩兵銃をもって逃走した。すぐに捕らえられて処刑された話を読んだことがある。
「いつもながらの食料徴発」
《この部落は日本の憲兵隊によって宣撫されているので、徴発など一切の行為を禁ず》と書かれた憲兵隊長署名の日の丸の小旗をさし示す老人。そんな老いぼれのことなど構わず掠奪を続け、挙句、上等兵の銃が火を吹く。老人は日の丸の上に折り重なるよう血に染まって倒れた。
 そんな物語のどちらも観たくない。監視カメラの向こうから、田舎者たちが「さあどちらにする」と私に迫る。不意に背後から光が差した。いるはずもない上等兵を思い浮かべ、目を丸めて振り返る。相手も驚いたろう。
「あ、すんません」
 私よりも遥かに若い青年であった。
「あ、いや」
 青年にスペースを空けようとサイドステップ。私は意図せず「捕らわれて連れ戻された逃亡者」の扉の前に立った。青年は「いつもながらの食料徴発」の前に立つ。
「なんすかねこれ?」
 随分と人懐っこい男であった。
「戦争体験の展示でしょうね」
「嗚呼。戦争の展示とかしんどいっスよね」
 確かにそうっスよね。私は口元を歪めるだけで言葉を返すことができない。過去の過ちを繰り返さぬよう戦争を知ることは大切でしょう。そんな定型句を口にしたほうが大人らしかったかしら。「しんどいっスよね」が繰り返されるだけな気がする。青年は私の前を指さした。
「そっちにするんすか?」
「ええ、まあ」
「捕らわれて連れ戻された逃亡者か」
 この選択は間違えているのだろうか。実はこの青年、姓は山下、名は菊丸、山下のことなら何でも知っている末裔でいらっしゃるのではなかろうか。
「菊二、好きなんですか?」
「まあ、興味深いっすよね」
 私は頷きながら「インタレスティング」は禁句だというなにかの洋画を思い出していた。ただし、その回答から親族ではないのだろうと推察する。身内のことを「インタレスティング」と評価する者はなかなかない。
 青年は私の前に手を伸ばすとドアノブを握った。
「一緒に入りましょうか?」
 思いがけない申し出に言葉を詰まらせる。それでも二、三言葉を交わした仲だ。別々の扉に進むこともないだろう。私は青年の後頭部に軽く頭を垂れて、その後に続いた。
「わお」
 捕らえられた逃亡兵が後ろ手に縛られてがっくりと項垂れていた。遠目に見ても、膝をついて貧相な肩を震わせていることが分かる。その前で表情を無くした若者が深く深く穴を掘っている。扉に耳を当てた時に聴こえてきた、ザックザックというあの音だ。
 穴を掘る新兵と逃亡兵の綱を握る古兵。その後ろに立つ上等兵が扉を開けた私たちに気づいた。
「整列」
 青年は条件反射的に小走りになる。私も上等兵の視線から逃げるよう青年に続いた。既に三人の男女が列をつくっていた。その装いを見る限り、我々と同じく日中戦争に紛れ込んだ現代人のようだ。
 上等兵の声が響き渡る。すっかり生気を失った逃亡兵の肉体が、古兵によって穴の中へくねくねと押し込まれていった。新兵が穴の中に土を戻していく。やがて、しっかり搗き固められると首だけが地表にぽつんと置かれたようになった。
「デビッド・ボウイみたいっスね」
 涙目の青年が振り返り、囁き声で同意を求めた。私は苦笑いを貼り付ける。その顔は「転化期」に描かれたマネキンのようだったろう。すると、上等兵は最前列の女にシャベルを手渡した。それは刀のように切れる兵器用シャベルだった。
「え、なになに?」
 女は困惑した様子で、すぐ後ろに並ぶ連れ合いの男に尋ねる。
「逃亡兵なんだから処刑しなきゃ」
 鼻を削げ、耳を削げと、男と女はじゃれるようにシャベルを押し付け合っている。上等兵は立て銃の姿勢で不動のまま一点を見つめていた。やがて、シャベルを握った男が下唇を噛んで逃亡兵の頭の前に立った。地面から生えた頭は、これから我が身にふりかかる残虐行為に対して、諦めようとする努力と、諦めきれない生への執着との葛藤を、色濃くその表皮に染めている。いや、これは演出上のライトアップだ。無感動な我々に、ここからが皆さん驚くべきところですよと合図を出してくれる。
 シャベルを握る男の切り落としたくないという意思が、両の目を閉じさせる。手元が狂い地面にシャベルが突き立てられた。ザックという音に女の短い悲鳴が応えた。
 上等兵は男からシャベルを奪い取ると、それを振り上げた。
「このように切り落とすのだ」
 頭から耳が飛び、会場は真赤な照明に包まれる。地面が血糊に染まった。シャベルが三人目の男に手渡されると、その男は長靴をはいていた。
「率先垂範」
 一言漏らすと躊躇いもなく鼻を削ぎ落した。会場は再び真赤に明滅する。そして、地面に生えた頭から血糊であろう真赤な液体が吹き出し、長靴を染めた。この男、鼻を削ぎ落せば自分の足元が汚れることを知っていたのだろう。俺は辺りを見回す。長靴の貸し出しなんてあったかしら。女は両手で口を押えたまま、率先垂範してみせた男に羨望の眼差しを向ける。連れの男はそんな女に眉を顰めた。
 続いて、シャベルは青年に渡された。
「え」
 もう一つ耳がある、耳を削げと、俺たちはじゃれるようにシャベルを押し付け合うこととなる。逃亡兵の処刑に立ち会った時、菊二はまだまだ新兵だった。シャベルを握らされたことを記録していたが、直接的に手をかけたかどうかは知らない。
 シャベルを受け取った菊二はこう漏らした。
 そこに埋められている逃亡者の首からではなく、わたしたちの何ものかが切り落とされたような気がした。
 私は血を吹く逃亡兵の首を見下ろしながらでシャベルを握っている。既に鼻のない顔はニンゲンと呼べるか。必要条件を満たしていない顔から耳を削ぎ落すくらい他愛ないことのようにも思える。
「このように切り落とすのだ」と、上等兵は言った。
「率先垂範」と、長靴の男は言った。
 それらを上回る気の利いたセリフはなんだろう。俺は数少ない語彙の引き出しを探っている。シャベルを振り下ろした時、女はどんな視線をくれるかしら。青年はどんなに情けない声を上げるだろう。無口な上等兵が私にだけ特別な声をかけてくれたりして。その想像はいくらか愉快だ。意思を持つことよりも近い未来をイメージしている。ふと「食料徴発」という言葉が思い浮かぶが、この場にまったく相応しくない。
「嗚呼。戦争の展示とかしんどいっスよね」
 青年の口真似をして、少しだけ笑った。

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