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「誰かが何かをやってくれる」はもうやめよう

「リスクを取らないリスク」
を読んで。


リスクテイク=挑戦であり、資本主義ゲーム的には、誰かがリスクを取らなければ富は拡大していかない、という事であろうか。
リスクテイカー=挑戦者とするならば、それらの集積地=米国が最も富の拡大可能性が高いという事はGDP, S&P500,,とにかく様々なデータが示している。
リスクテイクを好まないのは動物の本能であり、動物の域を出ない人間にとっても同じくリスク回避は人間共通の性(さが)みたいなもの。
しかし、おそらく人間は自我の発達があるので、少なくとも他の動物と比べそれを意識する脳力が高いゆえ、リスク回避の性(さが)=弱さ、を認識しているのであろう。つまりこの本能のまま生きていてはより良い生活・豊かさは得られないという事を。この事をどこかで気づいているせいか、誰かが意識的にリスクを取る事で既成の可動性を広げ、それが新しい経済圏を作ったり、さらに個々の新しい能力が自然発生的に生み出されたり、めぐりめぐって人間社会全体としての豊かさを作っているのだろう。
最もわかりやすいのは経営者やスポーツ選手であり、彼らに富が集まるのは自然なのだろう。それでも日本人経営者やアスリートが得ている富は少なすぎると思う、とっているリスクに比して。

皆で渡れば怖くない、ではないが”皆が均しく富み、皆が幸せに”という意識が強い日本人にとってとても距離感のあるのがリスクでありリスクテイクであろう。日本の成長を示す様々な経済指標がその証左になっているはず。少なくとも米国とだけ比べてみても、彼我の富の差を示すデータには枚挙に暇が無い事は言うまでもなく.. つまり日本ではここの文脈で言うレベルのというか質の挑戦がほとんど行われていない=富が集まるはずもなく。
皆が均しく富み皆が幸せに、これは裏返しで言うと、”皆で貧して、皆で死のう”とも聞こえ、(話は飛ぶが)現行憲法が生み出した絶対平和というふんわりした意識に浸り過ぎ、危機(リスク)に対する知覚力が衰えてしまったんだろう。日本のほとんどの問題の真因は憲法にありの持論に無理やりつなげるつもりはないが..少なくとも遠因にはなっていると考える。

心地よい夢の中にいる幻想国民ではなく、具体的に事を起こし豊かさを生み出す様な"挑戦する誰か"でなければ残りの人生無為だと、妙に焦ってきた。


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