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#5. 速くなりたかった僕。

 東京五輪の陸上競技に影響を受けて走ろうと思い立ち、本日から走りました。
 情けないことに描いてるイメージに身体はついて来ず、、歩きながらコースを戻ってて、近くの中学校のグランドを見たら走ってたおばさまがいたので、恐る恐る「門とかに赤外線とか無いかな?」とかビビりながらもグランドに入り、声をかけると、外国語の担当をしていると。僕と同様に東京五輪を見て運動をしようとのことで、笑
 僕も競技をしてた身なので、良いとこも見せとこって思い、ラスト2周ほど早めで走ってみたけど2周目で足がガクブル笑(攣りかけた…)
 古傷は完治せず、、もう6年来の付き合いで…まだまだ僕を苦しめてくれます笑
 先生とはクールダウンのストレッチしながら、色々話すことができ、なんか身体よりも心がスッキリしました笑 きっといい先生なんやろな〜と。
 学校の陸上部の話などにもなりましたねぇ〜。その後、お互い帰路に着きました。
 帰りに、自身の競技人生およそ6年間を振り返ったり…

 中学の時はあまり意欲的にアバウトな目標を持たなかったと。タイムやレース展開の実現化を目標にしてたなぁ…(今思うと冷めてるなこれ..)

 高校の時は3年時に取り組んだ駅伝チーム作りに没頭してたなぁ…それはそれはとても楽しかった。何より自己形成と言うのかな?人間的に強くなれた。目標も人を集めてやるだけのゼロからのチーム作りだったし。(高校は3年目の思い出がほとんど笑)
 そんなこんなで思ってたりしてて、、
ふと、「やっぱ速くなりたかったなぁ、、、」と思いました。素直に。
 今でもたまに思い返したり夢にも出てきたりすることもあるレースがあります。
 高3時、インターハイ(IH)の県IH予選のその地区IH予選で出場した1500m。レース前の自己ベストは4分36秒?とかでした。
 号砲が鳴りスタート。自己ベストが4'10前後の選手達の先頭集団について行く形でのレース。すごく足が動いた。
 このレースの2ヶ月前には足に腫瘍はあり、練習メニューも減らして、走るのもキツい日があったくらいには辛い時でした。でも、同輩がテーピングを巻いてくれなんとか走れる状態にしてくれて臨めました。
 試合展開は残り400mに差し掛かる頃、これまでの自身のタイムからは考えられないオーバーペース。しかし「いける!!」と確信してラスト一周の鐘が鳴る。その瞬間、スパートや切り替えを意識したのか急に足の痛みが襲ってきてカクンとなり、ジョギングのようなペースまで落ち込み、みるみる後続に抜かれゴールした時に後ろにいたのは2人。タイムも自己ベストタイくらい…
 あと一周。足がもてば、、大幅ベスト…「ウチの長距離も県に行けるくらいには強いんやぞ!」って証明できたかも。とか、「こんな無名やけど、雑魚の僕やけどやるんやぞ!」とか、「やっと自分の力で県や!」とか、、色々な気持ちが錯綜したことを思い返したりしてました。

 短距離陣の同輩に「見直したわ。」と言われ、最後さえ除けば完璧なレースでした。その後、駅伝チームを作り、学校史上初(つまり学校記録)を樹立しました。たのしかった。

 でも、どこかであのレースを忘れられない自分がいます。後悔しかない。でも、そのおかげで駅伝に気持ちをシフトできた。1人では味わえないものを味わうことができた。
 速くなりたかった。当時の少年の純粋な気持ちがまだ残ってるんだと。そう感じました。

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