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そんなつもりじゃ

 予報では曇りのはずだったのに、外海そとめに向かっていると、午前のうちからぽつぽつと小さい雨粒が落ちてきた。
 ふたつの教会を訪ね、それぞれで地元の方に会い話をする。詳しく書くのは一応避けるとして、これは私の仕事の一部で、訪問はだいたい月に1度程度の定例としている。
 前回訪ねたのが3週間ほど前で、そのとき待降節で飾ってあった馬小屋はもう仕舞われていた。この写真は馬小屋飾りの脇に置いてある御像なんだけれど、手に持った袋のところに献金をするとお辞儀をする仕掛けになっていたんだそう。
 なっていた、と書いたのは、からくりのところが今は壊れてしまっていると聞いたから。

 ここの馬小屋飾りの御像は、ド・ロ神父が取り寄せたものと教えてもらった。ド・ロ神父はパリ外国宣教会のフランス人神父で、1868(慶応4)年に来日、その後1878(明治11)年から出津教会の主任司祭を務め、1914(大正3)年に亡くなるまで日本で過ごしている。
 途中で塗りなおしてあるらしいけれど、そのド・ロ神父が取り寄せた(というのはおそらくフランスからだろう)ものを目にして、その時代やド・ロ神父その人が、なんだかすごく近くにおもわれた。

 ここの教会を含む集落は、世界遺産の構成資産になっている。登録されたのは2018年のことで、その数年前より世界遺産登録に向かう動きがあり、そのためこの土地や教会堂などは注目を浴びていた。そういうあれこれでもたらされたものはいくつもあり、それらのなかには厄介なものや悩ましい事柄も少なくない。
 小さかった雨粒が次第に大きくなって、しっかりとした雨模様になった屋外を眺めながら、敷地の屋内で信徒の方と話を続けた。
 内容は他愛のないものも多いし、相手は年配の方だから繰り返しの話題もいくつかある。喋るのだってゆっくりだ。ここにくるたびにわりと多くの時間を使っている私を、同僚たちはおそらく遊んでいるものくらいにおもっていることとおもう。
 まあ、そんなふうにおもわれていたって全く構わないけれど、私にとっては大事な時間である。この日も、それらの内容の中からいくつか課題を拾い上げたり、考え続けなければとおもうようなことをすくい上げるなどした。

 前回訪問時の馬小屋飾りには、まだ東方の三博士が現れていなくって、だからもう一度来たいなあとおもっていたんだけれど、公現祭を過ぎてしまったのは残念だった。

 世界遺産を説明するものの中には、「地域の宝物である」といったような表現も多い。だけれども、今季はもう仕舞われてしまったド・ロ神父ゆかりの馬小屋飾りのことをふと思い出して、おもったことがあった。
 毎年、その時期がやってきたときに、ここの信徒の人たちが箱の中から一つひとつの御像をとり出して、御堂の中に馬小屋を作るというのをずっとやってきたことが、イメージとして浮かんできた。それは彼らにとっては日常の一部で、歴史的に見ればこの土地やそこにまつわる物事を遺産と言っていいかもしれないけれど、ここに生まれて育って暮らしてきた人たちにとってはやっぱり自分らの生活のうちの物事で、つまり何も人を呼んで見せるようなものではないのじゃないかとおもった。
 このささやかな土地や、ささやかな信仰や、建物が、注目を浴びて人を多く受け入れる事態になってしまったことが、果たしてどれほどのものなのか、判断をしかねる。というかそもそも私が判断をするようなことではないのだけれど、ふとそういう気もちが起こった。
 宝物は見せびらかすようなものではなくて、そっと仕舞われて容易に人目に触れないものだからこそ宝物なのかもしれない。

*

 今日は仕事の過程で、世界遺産登録前に作成された推薦書などをいくつか遡って読むなどした。それはもちろん登録を目指して作成されたものであるわけで、いくらかは今後の課題だったり目標的に掲げられたものも見受けられて、だけど改めて追っていくと、その内容と現時点においての実態とに随分と溝というかズレというか、そういうものが多く見出されて少し暗い気もちにもなった。
 関わっている人や団体や組織があまりにも多く、それらが複雑に絡み合っているものだから、溝やズレは仕方がないし、それぞれがそれぞれの責任や力の及ぶ範囲で取り組んでいることなのは承知している。それを充分理解した上でもう一度眺めてみると、ますますやりきれなさを感じたりする。
 たくさんの、実現に向けた理想とか理念とか切磋琢磨のうち、いくつかは「そんなつもりじゃなかった」作用を発生させてしまうことがある。そういう幾つかの切ない現実に対するやりきれなさだ。
 そんなことを考えていたら、「そんなつもりじゃなかった」ことというのは、我々の日常にも、歴史上にも、いくらでも見出されることなどに思い至ったりした。せめて私個人としての「そんなつもりじゃなかった」は最小にとどめていけるようにしたいなどとおもった。

*

 でもそういうやりきれなさが、ド・ロ神父がもたらした、いくつもの貢献のうちの小さなひとつとしての馬小屋飾りを思い出したことで、なんとなく和んだ。次の待降節がきたら、あのささやかな、でも確かな宝物に、また会えるだろうかなどとおもったら、ちょっとだけにこっとなった。

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今日の「白鳥」:外海に向かう途中、白鳥に出会って写真を撮りました。それがトップ画像です。これは雪浦ゆきのうらというところに生息する野生の白鳥なんだけれど、いくらか離れた漁港まで遊びにきたみたいです。
いま、満洲国に関わる幾つかの作品を読んでいるところなんだけれど、「ハルピン」には白鳥という意味もあるというのを知りました。

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