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ドミニコ会士 バルトロメ・デ・ラス・カサス

 少し前にグーテンベルク印刷機及び印刷術の発明について書いた。
 この技術の開発後、印刷物、書物といったものが民衆に広がっていく過程で宗教改革におおきな影響をもたらした。宗教改革はドイツ(神聖ローマ帝国)からスイス、イングランド、スコットランド、フランス、と次第にヨーロッパ各地にひろがった。

 ヨーロッパ各地で新教がおこり、ローマ・カトリックの権威をとりもどすための一つの事象としてイエズス会が創設され、新天地での布教に望みがかけられた。「魂の救済」として開始された海外布教は、気がついたら「魂の征服」に変わっていってしまう。

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 バルトロメ・デ・ラス・カサス(Bartolomé de las Casas)はスペイン出身の司祭、司教である。出生は1474年としてあるものと、1484年とがあってどちらなのかはっきりしない。
 ラス・カサスはエスパニョーラ島、キューバ島征服事業に従軍司祭として参加し、その報酬としてキューバにエンコミエンダ(キリスト教教化を条件に現地人労働力を実質的な奴隷として使役する農園経営形態)を与えられた。つまり現地で布教と同時に奴隷労働力を使って農園の経営をしていた。

 そのような生活をしていたラス・カサスだったが、インディオの虐待の不正に気がつき、インディオの解放のためエンコミエンダを放棄し、制度の撤廃とインディオ救済の活動をはじめた。

 ラス・カサスは1515年にスペインに帰国しインディオスによる新しい村の建設とエンコミエンダ制度の廃止を王室に訴えた。『14の改善策』といわれる提案書を書いており、その内容はエンコミエンダの廃止とインディオ虐待の即時中止、平和的キリスト教布教などであった。
 この提案書はあまり実を結ばなかった。

 自身が見聞してきたインディオに対するスペイン人キリスト教徒の残虐な所業を当時のスペイン国王カルロス1世(カール5世)に報告し、それをもとにした『インディアスの破壊についての簡潔な報告(Brevísima relación de la destrucción de las Indias)』が1552年に出版された。
 ラス・カサスが1552年から翌年にかけて印刷、出版させた刊行物は1作品を除いてセビーリャの書籍印刷業者セバスティアン・トゥルヒーリョの店で印刷されている。『インディアスの破壊についての簡潔な報告』もその中に含まれる。

 出版直後からこの書物は「異端的見解」「狂信的かつ邪心的」であり、新大陸におけるスペインの支配権を危険にさらすものとして批判をあび、1579年には禁書とされスペイン国内での出版は途絶えた。その他のヨーロッパ諸国では、出版後50年のうちに主要なヨーロッパ語に翻訳されており、これはスペインに対抗して自国の植民活動を促進・保護しようとする諸国がスペインの残虐を証明するものとして利用したためだという。
 他言語に翻訳され、版を重ねてはいたものの、ラス・カサスの意図とは違う使われかたをされてしまったのである。

 晩年は執筆とインディアンの権利保護活動に専念し、著作のすべてをドミニコ会神学院に寄贈して生涯を閉じた。

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 残虐な暴力をもって征服活動を続ける教会に対し、不当性を訴えつづけたラス・カサスが司祭をやめなかったのはどういうことだろう。聖書の教えと現実のくいちがいにどのように折り合いをつけていたのかに触れた資料は(今のところ)見当たらない。
 
 実際に目の前で起こっていた現実を、詳細に書いて報告したら、この組織の体質変化につながるかもしれない。
 ここに書いたことはほんとうの出来事で、それを知ったらかならずや理解を示して改める気になるだろう。

 このような期待をもって著作にはげんだかもしれない。
 自分が抱いているものと、所属しているところの乖離がおおきいとき、その場を離れるか、とどまって戦うか、の間でゆらゆら動く。

 こうした淡い期待があっさり打ち砕かれてしまうのは、実につらく、かつ腹立たしいものである。


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