ラジオのような文章が書けたら
こんばんは。haruです。
今日、ひょんなことから感じたことがあります。
ラジオっていいなあ、って。
私は今まで、ラジオを聞くという習慣はあまりありませんでした。
ラジオの良さを知らずに育ってきた、と言っても過言ではないと思います。
今やラジオ感覚でただ人の話を聞けるアプリや媒体がたくさんありますよね。
そんな中、ラジオって良い!ということに何故か気が付いたここ最近。
たまたま私の好きなYouTuberがラジオ配信をしているのを聞いて、こんなにストレス無く人の価値観に触れられる媒体って無いなあと思ったんです。
画面を見続ける必要も無いし、興味のない話題は自然と聞き流せちゃう。
逆に興味のある話題に触れているときはそれに耳を傾けたり、自分には無かった価値観がふと耳から入ってきたりして「へえ、そうだったんだ」なんて今まで新しいことに出会えたような、新鮮な気持ちになることが出来る媒体だと知りました。
ディスるわけではないしこれはあくまで私個人の気持ちなのですが、動画ってずっと見ちゃいません?
それでふと気がつくと「え!?もうこんな時間経ってる…なんか時間溶けた..」みたいな。
そういう時の虚無感と言うかもやもやと言うか…。
もちろん動画にも良いところはあります。
しかし目から入る情報の方が圧倒的に多いのが良いところでもあり悪いとこでもあるな、と。
もしかしたら興味を持てるものかもしれないのに「あ、これ興味ないや」とすぐスワイプしちゃったり、時には気持ちが沈むような情報を聞くことになったり…
要するに、耳から入ってくる情報の方が目から入ってくる情報よりも重く捉えずに済むし、画面を見るという拘束時間が削られると思ったわけです。
しかし今私が行っているのはそこから最も程遠い「文章を書く」、そしてそれを「読む作業」が発生しているという状況。
なので私はぼんやりと、ラジオのような文章が書けないかなあという考えに行き着きました。
具体的なことはまだ全然思い浮かんでいません。
でも多分私の今ぼんやり浮かんでいる像に近づけるには、ラジオをもっと聞いてみたり日常的な生活で面白いなあと思う瞬間をメモしておくことがきっと大事なんだろうな。くらいは考えたりしています。
今日はこれが楽しかった〜とか、こんなことを知ったとか、くだらない内容で笑いを誘うとかなら出来るんでしょうか。
文章はこうでなきゃ読まれない!なんて固定観念も関係しているんでしょうね。多分まだ「気取った文章を書きたい」なんて気持ちも少しはあったりして。
それを打破してもっとラフな文章を書いたらええんちゃうか〜私よ。
これもう少し考えてみたいな。なんて思った今日の出来事でした。
こんなこと考えてる時間もなんとなく楽しいですね。
またなんかいい案を色々模索してみよう。
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