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#12 さみしい夜にはペンを持て

日記をつけ始めて4年になります。

私は、記憶力が良くないので人の話を聞いてるうちに「そうだったかも」と思ってしまうことが多い。
良いことも悪いことも、人の記憶で生きてしまう気がして怖くなった。
でも日記を読み返せば、その場で反論出来なくても、「そんなことないじゃん、私悪くなかったじゃん」って気づくことがある。
もしくは、「改めて褒められるほど善人でもないな」って思い直すこともある。
わざわざ誰かに知ってもらわなくても、こっそり自分の中で反論して、自分の記憶で生きることができる気がする。

1日の終わりにペンを持って、その日の感情に向き合う。何でイライラしたんだろう、何で幸せだと思ったんだろう。今日私が思ったことは、誰にもジャッジされない、ただの記録として残っている。

この本は、前に読んで刺激を受けた「自分を変えるノート術」とは、真逆のことを言う一冊だった。
自己認識の目的も、その手段として「とにかく書け」ということも一緒なのに真逆なのが面白い。そしてどっちにも「なるほど」と思ってる自分も可笑しい。
色んな人が色んなことを言うけど、全部信じて生きてしまうよね。それもありか。

この前日記を読み返していて「私の傷は私だけのもの」と書いているのを見つけた。
今まで、日記に託して未来の自分に傷を全て押し付けてきたんだと思う。
私の傷を誰かに理解してもらおうとして、否定されて二重に傷つくのがずっと怖かった。だから多分、「メンタルブレイキング」という事象はあの冬に置いてきたんだと思う。

でもこの頃、人に頼るということを覚えました。
傷ついたことを知ってくれている人がいるだけで救われる夜があることを知りました。
弱い私を受け入れてくれる友人はたくさんいて、人に恵まれていることを今更ながらに思いだしました。
まだまだ強がりたい未熟な人間だけど、少しずつ傷ついている自分を見ることに慣れていきたい。
21歳の抱負にしては幼稚すぎるかな。

ちなみにこの本は、心理系のつもりで読み始めたら小説でした。
というか、小説だと思って読み進めました。

乱文、
ここまで目を通してくださった方がもしいたのであれば、ありがとう。
良い夜を過ごせますように。


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