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核兵器と原爆3世の私。

人間のあらゆる行いに対して深い絶望感を抱きまくっていた少女時代について書いたが、先日もまたそれを彷彿とさせる絶望感を味わった。

トランプ大統領率いる米政権が2018年2月2日に核戦略NPR見直し、それに伴い小型核兵器の開発を打ち出したニュース

オバマ前大統領が広島を訪問し、かつNPRで核軍縮を打ち出した時に見えた光が、瞬く間に握りつぶされたような思いになった。
同時に、河野太郎外相がそれに対し「高く評価する」との談話を出したことに強い憤りと2回目の絶望を味わわされた。
確かにここのところの日本近隣国との緊張は年々高まりつつある。それは分かる。

Jアラートが鳴ったあの日、心臓がギュッとなるけたたましい音と、身に迫った「なす術なく死ぬかもしれない」という緊張感は今でも鮮明に、ヒリヒリと思い出される。

だから国として、国民を守る為に武力的な対抗が出来るようにしておきたいというのが言い分なのかもしれない。
でもそれでいいんだろうか。

実を言うと、タイトルにもあるように私は原爆3世である。

祖父母は広島の出身で、原爆が広島へ投下された時は爆心地から少し離れた所に住んでいた2人だが、投下から間も無く家族を探しに広島市へ入った為に被爆者として認定されたそうだ。
最近まで知らなかったが、被爆者手帳も持っていたらしい。

ちなみに祖父母は既に、それぞれ老衰と病気とで他界した。
祖父は90を超えていたし、祖母は90には届かなかったが80ウン歳まで長生きした。

私の出身地は愛知県で、祖父母は住まいを大阪へ移していたので、物心ついてから広島へ行ったことはなかったが、何故か本籍地がずっと広島だった。
(今は愛知県の実家の住所へ移籍済みだ。)
そんなこともあって、私にとって原爆はただの過去の出来事でも他人事でもないような気がして、毎年原爆の日前後に放映される原爆関連の特集は関心を持って見ていたし、原爆に関係する文献を読み漁った時期もあった。

今となってはもっと祖父母から話を聞いておけばよかったと強く思う。
祖父が兵士として戦線に居た頃、被弾したために戦線離脱して帰国したという話は聞いた覚えがあるが、原爆の話を聞くことはあまりなかった。
(もしかしたらあまり話したくなかったのかもしれない。…これは憶測でしかないけれど。)

日本において、戦争の時代を生き延びた人々の数は、年々減少の一途を辿っている。それは大変喜ばしいことではある。
だって戦争はもうこれ以上必要ないから。

一方で、罪なき人々を理不尽に巻き込み、その命も家族も大切なもの全てを奪い去る戦争の記憶が風化していってしまうことに対する危機感がとても強い。

麻痺した感覚は、時に誤った選択をしてしまうものだ。

忘却によって、平和に対する意識はどんどん歪んでいるのではないかと近年のニュースを見ながら思う。
その最たるものが先の河野太郎外相の談話だった。
「大戦敗戦国で世界唯一の被爆国である日本」の政治を担う者が口にする言葉では到底ない、と私は思う。
報道で聞く限りの近年の政治の動きは、この「ハイセンコク/ヒバクコク」という言葉までも、ただのキャッチフレーズのような、お飾りみたいに感じてしまう。伴うものが何もない気がしてしまう。

何故、ただ素直に、純粋に、悲劇を繰り返さないために核兵器を減らすための努力を一心にすることが出来ないのだろう。
先人たちが築いて来た未来のための道筋を、いとも簡単に断絶するようなマネをしてしまうのだろう。

ひたすらにもどかしい。
それに、人間って本当にどうしようもない馬鹿なんだなあと改めて思う。
エゴイズムの塊みたいな人間の性を見せつけられたような気がして、私はただただ気落ちした。

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