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「大好き」「愛してる」の上をいく言葉がほしい。

大好きなバンドのメンバーにお手紙を書くとき、いつも決まって「大好きです」「愛してます」と書くのだが、そのたびに「彼らの生み出す音楽に病める時も健やかなる時も常に心を支えられ、Twitterに「おはよう」の一言でも見れたらどんなハードスケジュールでもこなしていけるような気がするし、自撮りなんか投下された日には一日の疲労も一瞬で吹き飛んで、音源映像グッズもろもろが解禁されれば歓喜に狂いながらノールックで予約ボタンを押し、ライブが決まれば秒でGoogleカレンダーに予定を書いてブロッキング、そしてライブに行くたびに毎回"私はこの日のために生きていた"と実感する日々の中で募る想いと感謝は、大好きでも愛してるでも到底足りんよなぁ…」と感じている。

かつてBUMP OF CHICKENの藤原基央さんは、「supernova」という曲の中で「本当のありがとうはありがとうじゃ足りないんだ」と、神がかった歌詞を書かれているが、まさにその通りで。
彼らのことを思うたび、「好き」と「愛してる」の上をいく言葉がほしい、といつも思う。

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私は"推し"という言葉が好きではない。
便利な言葉なので使ってしまうこともあるのだが、浸透し過ぎて今や、味も厚みも重みもなくしたペラッペラの単語に感じてしまう。私の生きる理由のひとつであるメンバーへの想いは、この単語ひとつには到底背負いきれないであろうと思ってしまうのだ。
もちろん、各人の"推し"に込められた想いはみんなそれぞれあると思うので、誰もが軽い気持ちで使っているとは思ってはいない。
しかし、少なくとも私は、自分も世間と同じように彼らを"推し"と呼ぶことによって、まるで自分の想いを無理やり大量生産されているパッケージに詰め込もうとしているようではないか…と感じるようになった。それから私は、彼らを推しと呼ぶことをやめた。

メンバーのひとりも「俺、推しって呼ばれるのが大嫌いなんだよね。なんか軽くね?って思ってしまう」と発言していて、「それ、多分みんな思ってるよね…」と、友人と話していたことがある。
「推しじゃなくて、こう呼べって提示してほしいよね。そうしたら絶対みんな喜んで使うよ」と言う友人の言葉にうんうん頷いていたのだが、今のところしっくりくるような呼び方が浮かんでこないので、最近は"推し"ではなく"大好きな人"と呼ぶようになった。

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夏目漱石の「今夜は月が綺麗ですね」はとても有名な逸話だが、本当にそういったエピソードがあったかどうかの真意は別として、「I love you」の訳として優れすぎていると思う。自分もこんな情緒的で美しい言葉で愛を表現できたらどんなに素敵だろうと、作家の端くれとして憧れる。

「大好き」だとか「愛してる」だとか、ストレートな愛の言葉に対して、どこか嘘臭さや薄っぺらさを感じてしまうのは何故なんだろう。それこそ、"推し"と同じくらい擦りに擦られて特別感も重みも感じられないような言葉だと思ってしまうこともある。安直に使いすぎではないか?便利な言葉に逃げてしまっていないか?と、書き上げた手紙を読み返して、ふと思う。
単に私がひねくれているだけなのか、勝手にそう感じてしまっているだけで、相手にはちゃんと伝わっているのか。

手紙というツールを通じて、文字のみで愛を伝えるのは、途方もなく無謀なことに思う。
それでも、私が彼らに愛や感謝の気持ちを伝えられるのは手紙やSNSだけだし、何より私は手紙が好きだ。レターセットを選んで、手書きで文章を書く。SNSのリプライやコメントのように簡単に削除できない、手間と時間に込められた想いが、物体として相手の手元に届く…こんなに素晴らしいシステムがあるだろうか。
100%の熱量を表現するのが難しくても、手紙を書く行為を通じて、この想いが1ミリでも伝わってくれるといいなぁ…と願わずにはいられない。なんだか重いけど。

いつか、大好きと愛してるを越える言葉を見つけることができるのだろうか。
そんなことを思いながら、私は今日も手紙に想いを綴っていた。

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