見出し画像

静寂と躍動が同居する場所で、波のゆくさきを見た。

私は、これから何がやりたいんだろう。

10代の頃から熱中していた歌を辞めた。

年齢は26歳。

"若いときには、若いときにしかできないことをやりう”と、インディーズレーベルでCDを作ったりライブで歌ったりしていたが、結局私は最後まで表現者として殻を破れず、中途半端に終わってしまった。

仲間たちが眩しく見える。
メジャーデビューが決まった人、他にない独特の世界観を持っている人、テクニックだけでなく物怖じせずどんどん自己アピールしていける営業スキルの高い人。
唯一無二の存在に憧れていたが、どんなに考えても自分だけが持っている個性や強みなど分からなかった。

行ったことのない場所に、ふらっと行きたいなぁ。

自分探しの旅なんて、ずっと必要ないと思っていた。
でもその時の私は、無性に今の自分が生きてる世界の半径数メートル先に行きたかった。

* * *

こういう時って、多分思い切って海外とか行くもんなんだろうなと思いつつ、私が訪れたのは鎌倉だった。

少しだけ言い訳すると、パスポートを持っていない&当時の私が勤めていた会社がシフト制で連休がなかった&ぶっちゃけひとりで海外は怖くて行く勇気がなかった(めちゃくちゃ言い訳するやんけ)

そのため、東京から日帰りで行ける範囲内だけど"遠出してきた感”が感じられる鎌倉を選んだ。

* * *

夏らしい、もくもく雲。

海なし県に住んでるせいか、海を見るだけでものすごくテンションが上がる。

貧血がちで熱中症になりやすい体質の私。
昔から夏はあまり好きではないと思っていたが、カメラロールを見返してみると夏に外出していることが多い。

塩分を含んだ湿った風が頬に当たる。

海沿いの道をぼんやり歩いて、立ち止まって海を眺めた。

背後では、車がびゅんびゅん走っている。

あいつ、ひとりで海見て黄昏てるわ〜なんて思われてるのかな。

そんな自意識過剰な妄想が浮かんだが、すぐ通り過ぎたオープンカーがかき鳴らすダンスミュージックに打ち消されて安心した。

きっとここは、誰もが私を放っておいてくれる場所だ。

いつも外にいるときはずっとイヤホンをしている私も、ここでは耳を解放して一定のリズムで呼吸するみたいな心地いい波の音をバックに歩き続けた。

2時間ほど経った頃、猛烈にお腹が減ってきて、近くにあったハンバーガーショップに立ち寄った。

こういうアウェーな場所だと、注文するものもいつもと違うふうになるんだな。

迷わずアイスティー人間の私が、珍しくジンジャエールを注文。

しゅわしゅわした泡に、乾いた喉が喜びの舞を踊る。

大好きな細長ポテトをつまみ、ぼーっと窓の外を眺めた。

鎌倉は、不思議な街だ。

"静寂と躍動が混在した街”だと、私は思った。

駅前の小町通りなんかは観光客でひしめきあってるし、古風なものだけじゃなく、近代的な建物やお店も見かける。
由比ヶ浜は、海開き中は出店が並んで世にいうパリピっぽい方々で埋め尽くされてる。

でも、山と海に囲まれている鎌倉は、ひとたび少し山の方へ行くと同じ街とは思えないほど静かで、とにかく時間の流れがゆったりと感じられるのだ。

ハンバーガーを食べ終えた私は、波の音を背にして緩やかな坂を登りだした。

住宅街に入り、車の音も聞こえなくなった。
鬱蒼とした木々を抜け、「鎌倉文学館」へと足を踏み入れた。

ここ、鎌倉文学館では、鎌倉に縁のある文豪たちの原著や筆など貴重な資料が展示されていると聞き、絶対に訪れたい場所のひとつだった。

ほんの数十分前までは、エンジン音とダンスミュージックがすぐ隣で響いていたのに、この場所の静けさといったら…。
鳥の声と、風で葉が揺れる音しか聞こえない。
まさに時が止まったかのような空間だった。

* * *

ガラスケースの中に収められた、古びた原稿用紙。

あ、そうだ。
そういえば子供の頃、いつか小説家になりたいって思ってたなぁ。

小6の夏休み、自由課題で私は初めて短編小説を書いた。
同じクラスに絵本作家を目指していた子がいて、その子はいつも長期休みの宿題としてオリジナルの作品を持ってきていた。
クラスメイトがみんな絶賛していて、私も読ませてもらったことがあった。

子供ながらに、嫉妬したことを覚えている。
みんなから賞賛の声をもらっていたこととか、自分だけの世界観を持っていたところとか。

いっちょ前にその頃から承認欲求がバカ高かったのだけど、結局私は課題で書いた小説を発表することはできなかった。

ほんと、だっさいよなぁ…。

いつか作家になりたいという夢は、大人になっても私の心の片隅にずっと残っていた。

クラスメイトのあの子のように、自分だけにしか書けないものが私にあるだろうか。

それを音楽に求めることは、残念ながら諦めてしまったけど。

歌を唄っていたとき、ずっと不思議に思っていたことがある。

どんなに技術力が高くても、"個性がない”と埋もれてしまう人と、お世辞にも上手いとは言えないけど、言葉にならない吸引力を持っている人。

それは歌だけでなく、曲や小説のような作品にも言えるような気がする。

その差は、何なのだろう。

"天性の才能や素質”とか、"選ばれし星の元に生まれた”とか、そういう生まれた瞬間に決められてるものなんかではなくあってほしい。

どうにか理論で説明がついて、後天的にも身につけられるようなものであってほしい。

ごく普通の一般家庭で産まれ育った、ごく普通の私でも、"私だけが表現できるもの”がほしい。

自分が何かに選ばれし人間だなんて思えないからこそ、選ばれし人間と戦えるスキルがほしかった。

今からでも、遅くはないだろうか。

* * *

古い紙や、インクの匂いを堪能して、私は鎌倉文学館を後にした。

そして、もう一度海が見たくなって、稲村ヶ崎まで歩くことにした。

こっちは、由比ヶ浜と違ってパリピさんがいない。

波の音が、繰り返し耳に押し寄せては引いていく。

波の音…で思い出すのは、THE RiCECOOKERSの「波のゆくさき」という曲だ。

2010年に放送された、堤幸彦監督演出のSPECというドラマの主題歌である。
とても思い出深い曲なのだが、その話はまた今度にしようと思う。

外していたイヤホンをつけ「波のゆくさき」を再生した。

まぶしく映る おもかげさえも
風に揺られて かたち変えてく
色を失くした 思いとともに
流されてゆけ 波のゆくさきへ

夕日が当たる海の表面は、昼間とはまた違った輝きを放っていた。

…そろそろ、また文章を書いてみようかな。

今は、あの頃とは違う。
ネット上で自分の顔も本名も出さずに作品を発表することができる。

不特定多数の人の目に触れるネットの海にどぼんさせるのは、あの頃とは違う種類の緊張感があるような気もするけど、

それでも、ハードルが低くなっているのは間違いない。

岬に着いた。
日の入りを待ち構えている人たちに紛れ、私もスマホを手にした。

ここの海は、静かだ。

私が飛び込もうとしているネットの海は、どんなものなのだろうか。
こんなふうに穏やかに、私を受け入れてくれるだろうか。
音楽では表現することができなかった、"私にしか書けないもの”を見つけることはできるのだろうか。

波のゆくさきを見つめながら、そんなことを考えて。

初めて訪れた鎌倉での夕暮れは過ぎていった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?