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𓍯日本語が好き𓍯言葉を紡ぐことをライフワークにしたい𓍯ライスワークは訪問看護師

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  • 看護師というシゴト。

  • 幸せに気付くトキ。

  • 愛しいヒト、コト、モノ。

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訪問看護師は、遠い親戚みたいな人。

「体調はいかがですか?」 利用者さんへの訪問は、いつもそんな一言から始まる。 「変わりないよ」と笑顔が返ってくることもあるし、「いつも調子悪い」と、話しかけないでと言わんばかりのしかめ面が返ってくることもある。 私たち看護師ができることなんて、たかが知れている。 「苦しい」「痛い」と言われて、苦痛を和らげてあげられる方が珍しい。 私たちは、ただ話を聞き、寄り添うだけ。 何もできない自分に嫌気が差すことなんて日常茶飯事だ。 それでも、約15年看護師を続けてきて思う

    • 看護師こそ、プライベートとのバランスが何よりも大切。

      先日、こんな記事を書いた。 言葉どおり、小さな「ワクワク」を大切にして過ごしてみたら、何だか毎日が充実している。 そう、充実している気がする・・・んだけれど。 ・・・やっぱり仕事(訪問看護記録)が溜まってきた。 わずか1週間で。 毎回毎回この繰り返しで、正直うんざりする。 職業柄、仕事中は常に患者さんを中心に私たちのスケジュールや行動が決まる。 それは仕方のないこと。 そういう仕事なんだから当たり前だ。 でも、そんな日が続くと、本当に疲れる。 自分を後回し

      • 安やかなお顔は、残された人への最期の愛。

        職業柄、たくさんの方の人生の旅立ちを見送る。 人の生死と深く関わることのないお仕事をしている方に「(人の死って)慣れるんでしょ?」なんて言葉を何度か言われたことがある。 落ち着いて対処している姿を傍から見ると、慣れているように見えるのかもしれないけれど・・・慣れるわけがない。 新卒の頃、亡くなった患者さんを初めて目の当たりにした時は、患者さんの前で泣いてしまった。 目の前でどんどん冷たくなっていく患者さんを見て「死ぬ」というコトを全身で理解した。 ただ、悲しかった。

        • 私は、小さな「ワクワク」を大切にしてこなかっただけ。

          何かに夢中になっている人が羨ましかった。 ずっと夢中になれるコトを探していた。 まだ、夢中になれるコトに出会えていないと思っていたから。 でも、つい最近、それは少し的外れだったなと思うようになった。 この前、面白い!とワクワクしながら本を読んでいたのに、わりとすぐに読むのをやめて「やらなきゃいけない」家事をやり始めた私。 その時にふと、私ってこうやっていつも「やらなきゃいけないこと」を優先して生きてきたなぁ・・・と思った。 生きていくためにやらなきゃいけないことは

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        訪問看護師は、遠い親戚みたいな人。

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        • 私は、小さな「ワクワク」を大切にしてこなかっただけ。

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        記事

          仕事を休むのは悪いこと、という思い込み。

          子どもがインフルエンザB型になった。 2月の1〜2週目にかけて息子が、2週目〜今現在まで娘が、順番に感染している。 元夫にも協力してもらったけれど、それでも何日かは仕事を休まなければならない。 わりと丈夫な子どもたちだったのに、一昨年から体調を崩しがち。 一昨年の年末に息子がコロナ、昨年は秋に娘が喘息で入院、冬は2人ともインフルエンザA型に。 子どもたちのことはすごく心配なのに・・・同時に、また?!という気持ちになってしまう。 仕事を休むことに対する罪悪感のせいだ

          仕事を休むのは悪いこと、という思い込み。

          今日も幸せだった、ありがとう。

          「幸せ」って何だろう。 ずっと、そんなありきたりな疑問を持って生きてきた。 私にとって「幸せ=幸福」で、良いことで満ち足りていることだと思っていた。 だから、私は一度も心から幸せだと思えなかった。 だって、悪いこともたくさんあったから。 でも、「幸せ=仕合わせ」だ。 仕合わせは、「巡り合わせ」のこと。 良いことも、悪いことも、すべて含めて「巡り合わせ」。 その意味が、最近やっと腑に落ちた。 「幸せになりたい」と願うから、幸せを感じるために「不幸」が必要になる

          今日も幸せだった、ありがとう。

          魂が揺さぶられた歌。

          SUPER BEAVERを知ったのは、2018年10月に放送されていた「僕らは奇跡でできている」というドラマがきっかけだった。 (このドラマも、すごくオススメ) 主題歌の「予感」を聴いて、心が震えた。 ずっと、私の原動力は「やりたい」ではなく、「やらなきゃ」だった。 どんな時も自分のことを後回しにするのが得意だった。 おかげで・・・当時は、自分が誰の人生を生きているのか、よくわからなくなっていた頃だった。 誰の人生って、紛れもなく私の人生なんだけれど、そんなことも

          魂が揺さぶられた歌。

          訪問看護師の、とある1日。

          とある金曜日。 1週間の疲れがピークなのにもかかわらず、最近は金曜日がわりと忙しい。 なぜなら、金曜日はそもそものスケジュールに昼休みがほぼないからだ。 訪問が時間超過しなければ、ギリギリ30分くらいは休憩できるかな・・・そんな感じ。 でも、お昼前の利用者さんは、ほぼ確実に訪問時間を超過する。 移動時間含めて昼休みは90分取れるっていう契約なはず・・・なのに。 はぁ・・・これだけでため息が出る。 今日は「顔を見ると安心するんです」と嬉しいことを言ってもらえたり、

          訪問看護師の、とある1日。

          たぶん、言葉を綴ることが好き。

          私は日本語が好きだ。 英語すら話せない人間だから「他の国の言葉と比べて特にココが素敵!」とかは言えないけれど、なんか好きなのだ。 昔から、洋楽より邦楽が好きだし、洋画より邦画が好き。 ただ、文章を書くことはなんとなく苦手意識があった。 すごく嫌なわけでもない。 なんとなく、人に読まれるのは嫌だな・・・そんな感じ。 でも、そういえば、メールは好きだった。 今でこそ、長文メールなんて送らないけれど、いわゆる青春時代は、誕生日なんかに彼氏や友達に思いの丈をぶつけた長文

          たぶん、言葉を綴ることが好き。

          潔く、忙しさに身を委ねる。

          年末から、何だか忙しい。 私は訪問看護師をしているんだけれど、昼休みも取れずに訪問に回ったり、訪問した先々で利用者さんが体調を崩していたり。 そんな時は、とにかく訪問看護記録が溜まる。 私が働く事業所は、記録用iPadの持ち帰りOKなんだけれど、家に帰ったら帰ったで、家事や子どものことで手一杯。 その日の仕事はその日のうちに終わらせたいのに、終わらない。 そして、次の日もまた忙しい。 今日も予定外の仕事が増えた。 もう、完全に悪循環だ。 まぁ、でも、こんな日常

          潔く、忙しさに身を委ねる。

          結局、私は今も看護師をしている。

          タイトルに「結局」なんて言葉をつけたのには、もちろん理由がある。 私はここ何年もずっと、看護師を辞めるつもりだったからだ。 辞めるかどうか迷っていたわけではなく、絶対に辞めると決めていた。 理由は・・・ただただ「疲れた」の一言。 仕事中はずっと患者さんが最優先、家に帰れば子どもや夫が優先。 正直、やってられなかった。 今考えれば、もう少し上手くバランスを取る方法があったのかもしれないけれど、当時の私にはそんな余裕は全くなかった。 親や妻の代わりはいないけれど、看

          結局、私は今も看護師をしている。

          時間に追われずに過ごせる幸せ。

          久しぶりに、何も予定のない1日を過ごしている。 子どもたちはパパの家にお泊まりで、私は何も予定がない。 本当に1人。 いつぶりだろう。 何ヶ月も、こんな時間は持てていなかった。 目覚ましをセットせずに寝て。 ゆっくり起きて。 電車に乗って。 大好きなカフェでランチをして。 本屋に行って、気になっていた本を買い。 行ってみたかったカフェで読書。 すごく贅沢な時間。 誰にも左右されず、自分のためだけに過ごす時間は本当に大切だ。 こんな時間を、もっともっと

          時間に追われずに過ごせる幸せ。

          足るを知ること。

          少し前までの私がは、気付けば「ない」モノばかりを数えていた。 少し客観的に考えれば、頭ではたくさんのモノが「ある」とわかるのに、いつも満たされなかった。 欲張りなのか、わがままなのか。 そんな風に自分を責めることもあった。 でも、最近は「ない」のに「ある」と思うことが増えてきた。 状況はあまり変わっていないのに、不思議と満たされていると思うことが増えた。 病院から訪問看護ステーションに転職して、年収は200万円以上下がった。 離婚して、パートナーを失った。 そ

          足るを知ること。

          「面倒くさいから泣いておけばいい」という長男の言葉から気付かされたこと。

          この前、急に小学生の長男が「あの時、ママ怒ってたじゃん?面倒くさいから泣いておけばいいと思ったんだよね」と言った。 1年前くらいのある日のできごとを振り返って出た言葉だった。 私は、1年に2回くらい、プツンと糸が切れたように泣いてしまう日がある。 まさに、コップの水が溢れてしまうような感覚。 昔よりはだいぶコントロールできるようになったけれど、それでも、前触れもなくその日はやってくる。 長男が話題に出した日もそんな日だった。 記憶がかなり曖昧だけれど、長男が良かれ

          「面倒くさいから泣いておけばいい」という長男の言葉から気付かされたこと。

          人生で唯一、過去に戻りたいと思うこと。

          ずっと仕事ばかりして生きてきた。 自立した女性に憧れた。 自分で選んで納得した道だった。 でも、ふと立ち止まった瞬間に、iPhoneの中にある昔の子どもたちの写真が目に入る。 その写真を見ると、言葉では表現しきれない感情が溢れてきて、どうしようもなく、画面の向こうにいるわが子を抱き締めてキスしたくなる。 声を聞きたい・・・触れたい・・・動いている姿を見たい・・・と思う。 でも、記憶はもう上書きされてしまっていて、あの頃のあの子たちの声や仕草を鮮明に思い出すことはで

          人生で唯一、過去に戻りたいと思うこと。

          結局、カッコ悪い人になりたくないだけなんだ。

          先日、友達と「自己肯定感」について話をした。 友達は「自己肯定感が高くなりたい」と言っていた。 その言葉を聞いて、そういえば、私も数年前まで、自己肯定感がすごく低くて、承認欲求の塊だったことを思い出した。 ありのままの自分に価値なんてないと本気で思っていた。 ここ数年「自己肯定感」という言葉をよく耳にする。 自己肯定感とは、ありのままの自分を肯定し、好意的に受け止めることで、自分の存在そのものを認める感覚のことらしい。 世間一般には、自己肯定感は高い方が良いとされ

          結局、カッコ悪い人になりたくないだけなんだ。