記事一覧
安やかなお顔は、残された人への最期の愛。
職業柄、たくさんの方の人生の旅立ちを見送る。
人の生死と深く関わることのないお仕事をしている方に「(人の死って)慣れるんでしょ?」なんて言葉を何度か言われたことがある。
落ち着いて対処している姿を傍から見ると、慣れているように見えるのかもしれないけれど・・・慣れるわけがない。
新卒の頃、亡くなった患者さんを初めて目の当たりにした時は、患者さんの前で泣いてしまった。
目の前でどんどん冷たくな
今日も幸せだった、ありがとう。
「幸せ」って何だろう。
ずっと、そんなありきたりな疑問を持って生きてきた。
私にとって「幸せ=幸福」で、良いことで満ち足りていることだと思っていた。
だから、私は一度も心から幸せだと思えなかった。
だって、悪いこともたくさんあったから。
でも、「幸せ=仕合わせ」だ。
仕合わせは、「巡り合わせ」のこと。
良いことも、悪いことも、すべて含めて「巡り合わせ」。
その意味が、最近やっと腑に
魂が揺さぶられた歌。
SUPER BEAVERを知ったのは、2018年10月に放送されていた「僕らは奇跡でできている」というドラマがきっかけだった。
(このドラマも、すごくオススメ)
主題歌の「予感」を聴いて、心が震えた。
ずっと、私の原動力は「やりたい」ではなく、「やらなきゃ」だった。
どんな時も自分のことを後回しにするのが得意だった。
おかげで・・・当時は、自分が誰の人生を生きているのか、よくわからなくな
訪問看護師の、とある1日。
とある金曜日。
1週間の疲れがピークなのにもかかわらず、最近は金曜日がわりと忙しい。
なぜなら、金曜日はそもそものスケジュールに昼休みがほぼないからだ。
訪問が時間超過しなければ、ギリギリ30分くらいは休憩できるかな・・・そんな感じ。
でも、お昼前の利用者さんは、ほぼ確実に訪問時間を超過する。
移動時間含めて昼休みは90分取れるっていう契約なはず・・・なのに。
はぁ・・・これだけでため
潔く、忙しさに身を委ねる。
年末から、何だか忙しい。
私は訪問看護師をしているんだけれど、昼休みも取れずに訪問に回ったり、訪問した先々で利用者さんが体調を崩していたり。
そんな時は、とにかく訪問看護記録が溜まる。
私が働く事業所は、記録用iPadの持ち帰りOKなんだけれど、家に帰ったら帰ったで、家事や子どものことで手一杯。
その日の仕事はその日のうちに終わらせたいのに、終わらない。
そして、次の日もまた忙しい。
結局、私は今も看護師をしている。
タイトルに「結局」なんて言葉をつけたのには、もちろん理由がある。
私はここ何年もずっと、看護師を辞めるつもりだったからだ。
辞めるかどうか迷っていたわけではなく、絶対に辞めると決めていた。
理由は・・・ただただ「疲れた」の一言。
仕事中はずっと患者さんが最優先、家に帰れば子どもや夫が優先。
正直、やってられなかった。
今考えれば、もう少し上手くバランスを取る方法があったのかもしれないけ
結局、カッコ悪い人になりたくないだけなんだ。
先日、友達と「自己肯定感」について話をした。
友達は「自己肯定感が高くなりたい」と言っていた。
その言葉を聞いて、そういえば、私も数年前まで、自己肯定感がすごく低くて、承認欲求の塊だったことを思い出した。
ありのままの自分に価値なんてないと本気で思っていた。
ここ数年「自己肯定感」という言葉をよく耳にする。
自己肯定感とは、ありのままの自分を肯定し、好意的に受け止めることで、自分の存在そ