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嫉妬する資格

シンガーソングライターの米津さんが小説を書いたのなら、きっと想像を超えるものが生み出される。私はそう思っている。彼の書く詩も耳馴染みが良すぎて、音楽も絵も才能の塊だと感じてる。ヨルシカさんの音楽もそう。詩も音楽も声も良すぎる。

圧倒的な才能を目の当たりにした時、私はただその才能を称賛し、拍手喝采、スタンディングオベーション、吹けない指笛を吹きたくなる。

ただ彼らが小説やエッセイを書き出したとき、私は心穏やかに称賛できるだろうか。

恐らくその圧倒的な能力を目の当たりにしたとき、私はおこがましくも嫉妬するだろう。彼らのその世界観に、言葉選びに、自分にはたどり着けない場所をみるのだろう。

同じような理由で、芸人の又吉さんの小説を私は読んだことがない。彼が俳句を詠むところをテレビで見かけたことがあるが、彼の才能にただ茫然とし、彼のような感覚を持つことに焦がれた。小説が賞を取った時、何の不思議も感じなかった。ただそれを手に取れないのは、圧倒的な高みに立つ彼の才能に、おこがましくも嫉妬する自分を受け入れられないからだ。

そんな私が、本屋で又吉さんのエッセイ本を立ち読みした。ほんの一ページだった、たった一ページで、圧倒的な才能を目の当たりにした。テクニックも耳馴染みの良い文章も、言葉選びも、全てがすとんと落ちてきた。

「ああ、自分にはおこがましくも嫉妬する資格すらない」

何もなしえない、さして文章を書けてもいない自分には、そんな感情を持つことさえ許されていないのだ。


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