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「丁寧な暮らし」とかいう欺瞞にはもううんざりしてんだよ

得てして生活は苦しいものです。
去年度の税金をいつか支払わなきゃな、と思っていても出来ない。クレジットカードの引き落とし日には口座になぜか金が無くてガスはすぐ止まり、任された仕事はいつも頭の表面の方にうっすら見え続けていながら3週間手をつけていない。仕事が遅すぎて印刷所をストップしているという連絡を一週間既読無視している。LINEで送られてきたファイルを期限内に開けたことが無い。洗濯カゴがいっぱいになってもなお衣服を積み続けて、気づけば床一面服だらけでその日に履くパンツも靴下も無い。コンビニ弁当の容器とペットボトルが机をハミ出して部屋中に散乱し、食器はカピカピになり、シンクは何ヶ月も放置しているからネバネバした半透明の粘膜にぶ厚く覆われている。この前床に散らばった服の間から出てきた小さいゴキブリが昨日でっかく成長していたし、もう何匹のゴキブリと共同生活を送っているか分からない。枕と布団はずっと洗っていないのでやけにベタベタしているし、ティッシュやトイレットペーパーが切れてから、コンビニで買うのを先延ばしにし続けて2ヶ月経った。だからトイレはいつも一階の共同トイレまで行ってしなくちゃならない。帰ってきてドアを開けると毎回部屋に異臭が漂っていることに気づくが、どうにもならないので放置するしか無い。子供の頃憧れた仕事には就けそうもなく、金は無い。バキバキの携帯でインスタのリールを4時間見る。バイト行って酒飲んで射精して寝る。

生活というのは脆く、どうにもならない。

この人間の不浄に大きな蓋をするかの如き思想が2010年代以降急速に台頭してきている。

それが「丁寧な暮らし」である。

「丁寧な暮らし」の信者たちは浄化された生活を達成せんと、カモミールティーをがぶ飲みし、北欧雑貨を買い集め、高価で白い皿の余白にヴィヴィッドな色のソースを撒き散らす。あと靴下屋で五本指の靴下を買う。

「丁寧な暮らし」思想と近しいものに「Hygge」がある。

「Hygge」については、これがどういったものかを解説している記事があるのでまずはご覧いただきたい。

ヒュッゲ(hygge)は、デンマーク語で、居心地の良い空間に満足感を感じることや、小さなことに幸せを感じることなど、デンマーク人の心の持ち方を指す言葉です。

欧米ではヒュッゲを体現する「身近で快適な時間」を過ごすことが新たなブームとなっています。

ヒュッゲな一例としては、ふわふわのブランケットにくるまり、暖炉のそばでホットコーヒーを飲みながら親友と会話を交わす、そんなシーンが挙げられ、日本語では、『まったり』や『のんびり』に近い言葉だとよく定義されます。

ゆっくりとした時間の流れを楽しみながら、家で大切な人と時間を過ごす。一見、小さな幸せのように感じるかもしれませんが、日々のなかで幸せを紡いでいくことこそがヒュッゲの本質です。

https://myethicalchoice.com/journal/sustainable/hygge/

「ふわふわのブランケット」「暖炉」「ホットコーヒー」「会話」が、「ヒュッゲな」一例だそうだ。

これらの思想の伝道師たちは、生活の不浄に見て見ぬ振りをし、清潔で美しい瞬間だけを切り取って信者たちに見せびらかし、北欧家具や五本指の靴下を売りつける。

だが、生活はいつまで経っても清潔になることは無い。部屋はすぐに散らかり、仕事は溜まり続けるしローンが減るわけでもない。

「丁寧な暮らし」も「Hygge」も「ミニマリズム」も「断捨離」も「デジタルデトックス」も「猫の動画」も「友人との会話」も「愛のあるセックス」も、俺たちを幸せにしてくれることは永遠に無い。もううんざりだ。

そういうことに、みんな気付き始めている。

しかし同時に、

じゃあ、何が俺たちを幸せにしてくれるんだ?

と感じてしまう。当然怖い。だから、ハリボテの概念にいつまで経ってもしがみつくしかない。

もしかしたら俺たちは、「幸せ」というフワっとした概念の欺瞞を「丁寧な暮らし」を筆頭とする各種ムーブメントに感じてるんじゃあないだろうか。

結句、床に散乱した服とコンビニ弁当の殻の隙間に足を置ける面積を探して、片方だけ履いた靴下で立ち上がること以外に、自分の生活を続ける方法なんか、無いのだと思う。


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