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知ってる人の中で、本心まで知っている人は何人?|映画『はちどり』感想

話題になっていた韓国映画『はちどり』を観に行った。評論などかけるほど咀嚼力もないので、ただ記しておきたいことだけを残しておく。

公開初日から注目していたのもあり、このnoteを鑑賞後に観ようとブックマークをしておいた。観た後に読んで本当によかったと思うと同時に、消化できなかった部分も一致していてすっきりした。すばらしい考察でした。

※両noteネタバレを含みます


全体的に、韓国の歴史を知った上で観ておきたい作品だと感じた。1994年に起きた聖水(ソンス)大橋の崩壊や金日成主席の逝去など、当時の社会背景となぞらえて観るほうがリアリティもあって作品に対する深みが増す。自分なりにかんたんに調べてから、作品を見直してもまた新しい魅力を感じられそう。

個人的にやはり思春期少女の生きづらさの描写に心がつぶされそうになった。大人の理不尽さ、友人や恋人裏切り、非行に走るも守ってくれない社会。学歴至上主義で家父長制、兄だけが親から期待され、社会→父親→母/兄→ウニ(主人公)/姉の順に暴力が振るわれていく。女性や未成年の子どもが社会的弱者として当たり前のように扱われ、ウニはこの狭い世界で感情を殺して生きている。

ウニが唯一心から信頼していた漢文塾のヨンジ先生。思春期にいかに信頼できる大人に出会っているかって本当に大切である。私は中学生の頃に通っていた個別塾の先生が大好きで尊敬できる大人のひとりだった。当時先生は早稲田大の四年生で、字がきれいで毒舌で恋多き女で強かでおもしろくて、先生とはいえともだちみたいに仲良しだった。帰り道はいつも学校やきょうだいの愚痴を聞いてもらって、寄り道をしてたいやきを食べながら帰ったりもした。塾を卒業し、中学を卒業するとともに先生は大学を卒業した。さいごにもらった手紙がすばらしくて、自信がなくなったらいつも見返すくらい大切なものになった。私は幸い、親以外に守ってくれる大人に恵まれていた。塾の先生以外にも、母親との喧嘩や彼氏の話をして激おこされた中学の司書の先生、よくサボりに行っても何も言わずただ親身に話を聞いてくれた高校の保健室の先生、4歳の頃から怒らず深入りせず遠目から守ってくれたダンスの先生。今思うと、本音の本音を相談できなくても、信じられる大人と出会うことができたことが私の10代そして今をゆたかにしてくれたと思っている。「大人」のロールモデルが親や同じことしか言わない先生ばかりだと、信用もせずただ表面的に正解を繕える若者時代をすごしてしまう。自分も子どもに対して見捨てず、向き合って、見守れる存在でありたい。

映画の話にもどると、引用したnoteでもあった「よくわからなかったけど意味深なシーン」を私もいくつか感じていて、監督のコメントを読んでもちょっと違和感があってまだ咀嚼しきれていない。。

まず、「男性が急に泣き出すシーン」。理不尽に怒ったり万引したウニを守らず突き放した父親が、手術前の病院で泣き出したり、ウニを(たぶん姉に対しても?)日頃から殴っていた兄が、姉が事故に巻き込まれず一命をとりとめたタイミングでも食卓でいきなり泣き出している。私的には?だったが、男性からすると主観的な支配での暴力は愛憎も混ざっていて、外的に傷をつけられたりすると恐怖や不安に押しつぶされるのかもしれないと思った。あんまり言語化できない。でもそれは家族を愛しているからなのか?弱者に対する所有欲が混ざっているようにも感じられ、愛・欲を気持ち悪く感じた。対して、一切涙をみせない母親や(父親と喧嘩した時少し涙はあったが)ウニは、抗力さえ認められない抑圧を強く示している。また「殴られたら終わるまでまつ」というウニの考えに、「抵抗していい」というヨンジ先生のような"教え"を、教えられないと気づけない、肯定できない悲しさやむなしさがある。そこに関して救いだった描写が、両親に理不尽に否定された時に感情的になって部屋のモノに当たり散らす場面。普段感情を見せないウニに驚く家族が「驚いて」いて安堵のような感情を覚えた(感情的なようすさえ無視する家庭もある)。いやでも、男女年齢関係なく、人が人前で泣けない世界はもうなくなってほしいな。みんな泣いていいんだよ

あと、冒頭のウニが910号室と1010号室をまちがえたシーン。後半にカギがあるのかなと待っていたけど、引用したnoteの考察を読んでなるほどとなった。ただまだモヤモヤするのでレビューやユリイカ見漁ってみようと思う。

母親がウニの声に振り向かないシーンは、自殺を図っているのかもしれないと思ってしまった。母親の役割から降りている描写とは言え、長すぎていろいろ考えたが、上記のウニが家のカギを開けてほしいと母親に呼びかける場面でも同じ意味合いが通じているのならば納得がいく。もっとこっちをみてほしいという子どもながらの叫びは、役割に疲れた親には届かない。

「大人」といわれる年齢になるほど、少女の孤独は両親の余裕のなさにフォーカスもされる。世界の狭い10代の頃と比べ、自分自身理解が生まれるようになったところもある。ただ絶対に忘れたくないのは10代の孤独で、その捉え方が変化したとしても「大人」に理解ある偏りをもってしまいそうになる瞬間がとてつもなく怖い。当時の心の叫び、閉鎖感、無力感や抑圧、簡単に傷ついてしまう脆さ、心を知っている人なんていないのに求めてしまう孤独。じぶんの心をしだいに開いていける人間との出会いと繊細な感情はその瞬間が一番うつくしくて、一瞬で忘れてしまうものなのだ。こういった作品を通して多角性を磨きながらも根底の感情を忘れずにいたい。


この小さいながらも、ひときわ力強く羽ばたく鳥、 蜂(ハチ)なのか鳥(トリ)なのか分からない存在“はちどり”は、 子どもでもなく、大人でもない中学生にぴったりの愛称である。

この少女ははちどりのようにか弱いが、蜜を吸うこと以外にも、世の中を知っていくことに忙しい。 (中1でもなく、中3でもない)中2には誰も関心を持ってくれないから、1人で忙しい。
しかし、この映画を観終わった後、誰がはちどりをか弱いと言えるだろうか。もろくて貧弱なのは、実はこの世の中ではないだろうか。1994年のソンス大橋を見よ。

監督に強く頼む。早く続編を作ってほしい。ウニがじゃがいものチヂミをもぐもぐ噛んで食べ、どんな大人に成長していくのか見たい。あのあっけなく崩れた橋を飛んで越えていくカモメが見たい。

監督 パク・チャヌク 『オールドボーイ』『お嬢さん』

公式HPより引用



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