きえたい

「しにたい」んじゃないんだ
「きえたい」んだ

ふっと
電車のホームで
「いまだ!」って

自分で怖くなることがある

こーやってほんとにいっちゃう人
いるんだろうな

このあとどんな予定があろうと
誰が待っていようと

特に病んでる認定されてなくても

色んな人に迷惑かかる
そんなこと考えればわかる

でも、瞬間的なものな気がする

わからないけど

そんな時期が何度かあった

そんな時はホームから一番離れ
壁に張りつき電車を待つ

あと1歩のところにいたら
たぶん1歩踏み出してしまう
(気がして…)

電車に乗れたらほっとして

降りたら何事もなかったかのように仕事に行く
そしたら電車を待ってた瞬間のことなんて忘れている

そんなこと考えてるなんて
まわりはきっと気づかない

そんな人、他にもいるんじゃないかな?

壁にぴったりくっついて電車を待っていたら要注意!

「きえたい」って伝えてしまったことがある
仕事に支障が出てたときで、職場の人に

そのあと「しにたい」とか言われて
こっちが悩んじゃった
みたいに言われて
めんどくさくなったことがある

言ってないのに…

「しにたい」と「きえたい」
これはたぶん違う
ぱんだの中では確実に

「きえたい」は
自分が本当に存在しちゃいけないと思い
いなくなればいいと思っている

これ以上迷惑かけたくない
これ以上ぱんだと関わることで
一緒に疲れてしまう人を作りたくない

むしろ、存在してたことすら
出会った人全ての記憶から
消えればいいと

いらないものだと

親や数少ない友達くらいは
悲しむかもしれない

それも申し訳ない

だから「きえたい」なんだ

だから予告的なことはないんじゃないかな?

0か100か

でも、たぶんそんな勇気は
今のぱんだにはない
(と思う…)

今、こんなこと書けているから
今はとりあえず大丈夫

「生きる権利」とか
「死ぬ権利」とか

最近よく聞くけど

「生きる義務」ってやつだと
ぱんだは思って

できることなーんにもないけど
とりあえず生きている

ごめんなさい