未来を想って不安になる時
一人でいる時間が長ければ長いほど、悩む時間は多くなります。
なんだか周りの友人たちと比較して、自分は遅れをとっているような気がする。
そんな感覚をなんとなく、ここ数年間で感じてきました。
私は大学を卒業した後、ほとんど空白のような一年間を過ごし、その後二年間大学院に行き、そして社会人一年目である今を迎えています。
その間に周りの友人たちは、会社で3年間のキャリアを積み、早い人だと転職を経験し、結婚した人もいて、
その一方で私は、大学を卒業してからのこの三年間で、正直ほとんど何も前に進むことなく停滞していたような感覚を抱いたりしています。
大学4年生の頃、こんな未来を想像できていたかというと、ほとんど1%も想像できていませんでした。
ましてや自分が大学院に進学したり、ちゃんと就職するのが26歳になる年になるとは、まるで想像もしていませんでした。
さらにもっというと、一年前の今日、一年後の自分が東京で就職して一人暮らしをしているだなんて、想像もしていなかった。
つまり人生とは想像を超える出来事の連続なんだということを、こうした経験から改めて実感した次第です。
だからこの先の1年後も、3年後も、5年後も10年後も。
どんな未来も、予想することはきっとできません。
想像を超えるくらい良い未来が待っているかもしれないし、もちろん悪い未来が待っている可能性だってあります。
できれば良い事ばかりの連続の人生であってほしいけど、そうはいかないのが人生だっていうこともどこかでわかっていて。
だからこそ、「一年後の自分がどうなっているんだろう」と想像するたびに、ちょっと不安になります。そしてまた自分に自信がなくなります。
こんな自分でも周りの友人たちと同じようにちゃんとやれているんだろうかとか、いつまでも自分だけ置いてけぼりにされていないだろうかとか。
なんとなくこんな人になっていたいとか、
こんなふう人生を歩んでいたいとか、
そういうふわっとした理想はあるけれど、
それだけふわっとしているから、もしかするとこのまま実現することなく気付けば年を重ねてしまっているんじゃないかとか、
ついつい悪い方向にばかり想像を膨らませてしまいます。たぶん、リスクヘッジしているんですよね。
いいように予想して、その予想に反して悪い未来が待っていたら、後から取り返しがつかなくなるから。
だからあらかじめ低く見積もっておいて、未来がその期待を上回るようにしているんだろうと思います。
未来とか過去とか、“今“以外の時間に対して意識が向いている時って、“今“が充実していない、あるいは“今“に満足できていないことが原因なのかもしれないですね。
だけど未来を想って不安になることって、べつに悪いことではないと思います。
「未来を想う」というのはある意味、「自分には未来がある」という確信が持てているから行われる行動だとも捉えられます。
今の私は、未来への期待半分、不安半分ですが、
過去よりも未来の方がずっと長く広がっているであろう今を、
不安を一つ超えてもまた新たな不安が待っていて、なんだか不安には終わりがないような気がしている今のこの日々を大切に、過ごしていきたいです。
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