本屋の話

TLで本屋が減って何が悪いんだみたいなことを言っている人を見た

本好きが困るのはまだ分かるが、文化がどうのこうのとか教養がとかデカい話にするな的なことを言っていたが、わたしは一応本屋が減ると文化的にマズいと思っている派だ

きょうは自分がそう思う理由について書く

前もって断っておくと、わたしは「本を読む=教養がある、えらい」みたいな価値観の持ち主では断じてない

わたしは子どもの頃から読書が好きで国語が得意だったが、「国語力を養うために読書をしてほしい」とは微塵も思わない

読書習慣があることと国語でいい点を取ることの相関関係は否定しないが、長い文章の意味を読解することが偉いことだとは全く思わない

読書が苦手なわたしの母親はわたしの話を長くて分かりづらいと言う

わたしの話は確かに長いと自分でも思うが、わたしは他人の話が長いからという理由で「分かりづらい」と感じたことはほとんどないので、このことは各々の読書経験に由来しているとも考えられる

しかしこれは単純に母の能力が低いから長い話を処理できないという話ではなく、わたしが「会話」らしいコミュニケーションを苦手としているがゆえに彼女との意思疎通が難しい、つまり、互いに得意としているコミュニケーションの形態が異なると言うだけの話で、これにどちらが上とか下とかをつけるのはナンセンスだ

以上で「読書をするのはえらい」「国語が得意なのはえらい」という考えを否定できただろうか

さて、冒頭の主張について端的に理由を説明すると、
「本屋が減ると安全に文化にアクセスできなくなる」
という風に思っている

ここで想定できる反応として「今の世の中インターネットでなんでも享受できる」というのがあるが、インターネットで正しい情報だけにまっすぐアクセスするのはかなり難しい

というか、某氏の言葉にもあるように「嘘を嘘と見抜ける人でないと(インターネットを使うのは)難しい」ので、インターネットを使う=高確率で嘘に出会うと言って差し支えないだろう

古のインターネットでは「半年ROMれ」という文化があったが、正直現代の人間が片手でアクセスできるインターネットでわざわざ律儀にROMるガキなどおらず、嘘に翻弄されながら発信も行う、つまり誤ったインプットと同時に高速でアウトプットが行われ、混沌が起こる

本だとしても必ずしも正しいことが書いてある訳ではなく、ハチャメチャな本だってこの世にごまんとあるのだが、読書というのは永遠のROM専だ

読みながら時間をかけて「これは間違ってるのでは?」とか「私はこうは思わないな」など懐疑的になることができる

その点において本はインターネットよりも「安全な」文化だと思っている

また、健康的な本へのアクセスは本屋という自由な経済に依存する業態と公的な図書館の均衡によって成り立っていると考えられるため、本屋が減る、本屋の形が変わるのはかなり危険だと考えている

商業的な本屋と公共的な図書館で扱う本の範囲が微妙に重なり合うことでできる限り幅広い本にわたしのような一般人がアクセスできると考えているのだが、それで言うと最近の本屋はもう既にその役割は果たせていないかもしれない

原因は完全に本が売れなさすぎることなのだが、かく言うわたしも金のない無職なので本屋を応援する余裕などなく、図書館で本を借りたり、古本屋の100円コーナーを泣きながらうろついたりしているので「金も出さねえでオタク面すんな」には涙目である

しかし、上に示したように本の流通は文化的ライフラインと直結するので、国が支えるのは至極真っ当だとも考えている

それは、コンサル的な間接的な方法ではなくもっと直接的な補助金制度や図書カードの配布等の方法によって

文化的なインフラ整備は国民ではなく行政の義務だと思っているし、法治国家に住まう人間としてこれくらい傲慢でいたいと思う

あと、少しずつ元気になって働けるようになったら本屋さんで買い物をしたいとも、思う

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