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「何者かになりたい」もの

「何者かになりたい○○」
という映画や小説。最近すごくよく見る。
正確には、映画や小説のレビューでよく見る。

2日前に観てきた、
映画『わたしは最悪。』もまた、そう。

ユリヤ、ひとつ結びがめちゃくちゃキュート


▶ 作品情報

原題『The Worst Person in the world』
日本では2022年7月公開のノルウェーの作品。

ノルウェーの街オスロで撮影されていて
キャスト陣もノルウェー出身の俳優さんばかり。
主人公ユリヤに寄り添うような
ノルウェーの自然描写もとても見応えがあるし、
映画で見慣れたアメリカやイギリスとは
やっぱりちょっと異なる街並みや空気感、
2020年の絶賛コロナ禍で撮影されたそうで
風景として映る人々も、少しだけ新鮮に映る。
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主人公ユリヤを演じる
レナーテ・レインズヴェさんは33歳にして
本作画映画初主演。
監督ヨアキム・トリアーの過去作に出ていて、
その作品をきっかけに
本作は監督が彼女に宛てて書いた脚本だそう。
泣いちゃうね、そんなの。
(パンフレット読んだらしっかり泣いてた。)

▶ 感想

ユリヤに『わたしかもしれなかった人生』を
見た気がした、そんな121分だった。

わたしはもともと、中学・高校のときから
バリバリのキャリア志向、とは違うけど
「あの仕事もやってみたい」
「この仕事も楽しそう」っていうニュアンスで
自他ともに認める一生働いてたいタイプだった。

大学生になって、一番の就職希望先でバイト。
学業よりバイトに精を出す。
若気の至りでうっかり上司に惚れる。
付き合う。妊娠。結婚。出産。
大学卒業。就職。
離婚。退職。独立。
そして今。
あの仕事もやってみたい、この仕事も楽しそう。

うっかりレールを踏み外さなければ、
ユリヤはわたしだった。
ユリヤになりうる可能性は十分持ち合わせてる。
気が強くて、自意識も強い、めんどくさい女。

けれど、ユリヤはわたしよりずっと強い。
あんだけスマートで紳士で
(ちょっと年上めいた発言は気になるけれど)
素敵な彼アクセルを前にして、
『今は子どもは欲しくない』
と思える、言える、その強さ。

仕事も恋愛も奔放なようでいて、
案外うっかりしてないし、
恋愛で気狂うこともない、その芯の強さ。

“こうありたかったな”とは思わないけれど
もし、どこかのパラレルワールドに
もう一人わたしがいるのなら
彼女には、ユリヤのように強く生きてほしい。

あと、
“愛した人の死に際に
『一番大事な関係だった』と言われたい”
という新たな夢ができました。

なにこの言葉、よすぎるでしょう。
「好き」「愛してる」を越える想いと熱量と
創意工夫の感じられる愛を伝える言葉
のマニアで、
近年だと、塔の上のラプンツェルで
ユージーンの言う『君は僕の新しい夢だ』
とかもその類なんだけども、今回超えたかも。

ひょっとしたら、これは
言われたいと思う人がいた今だから響いた言葉
なのかもしれないね

この言葉のあと、朝日が昇るまで
夜通しオスロの街を歩き回るユリヤ、よい。
再会からのシーンは
これは泣ける、泣いたーってかんじじゃなくて、
あれ、わたし泣いてるの?的なかんじで
気づいたらほろっと1・2滴涙が零れてるような
そんな場面がいくつかありました。
アクセル派なんだよなあ

▶ ユリヤは「何者かになりたい」のか

活字中毒なので
人のレビューをよく読むのですが、
今回ちょっと気になったのは
これは本当に「何者かになりたい女性の話」
なのだろうか、ということ。

本作のレビューを読んでいて散見された
「何者かになりたい」「何者でもない」
という言葉。
別に嫌いじゃないし、わたしもよく使う。

けれど、ユリヤを「何者かになりたい女性」
として捉えてしまうのは、ちょっと惜しい
というか、ユリヤを受け止めきれてない
というべきか、そんな違和感を感じた。

ブログに書いたオーラルセックスの記事が
話題になったらそれはもちろん嬉しいけれど、
医者・心理学者・カメラマンなど
表に出ない仕事も志していたことを思うと
有名になりたい的な感情も強くなかったし、
「何者かになりたい」というたいそうなこと
ではなくて、
ただ、ちょっと違うなと思ってしまった、
という、たぶん、それだけのこと。

それだけのことで
仕事は変えるし、男も変える。
だって、それだけのこと、って
実はすごく大事なことだったりするから。

本当の理由は「なんか」だ。
「なんか好きじゃない」の「なんか」
が重大な理由だ。
人は「なんか」好きになるし、
「なんか」好きじゃなくなるし、
「なんか」セックスをしなくなる生き物なのだ
アンソーシャルディスタンス / 金原ひとみ

▶ 「何者かになりたい」ことと「どう生きたいか」は違う

SNSの普及で、誰しもが
肩書きを持つようになった。
個々の努力や才能次第で、
肩書きを持てるようになった。

胸を張って提示できる肩書きがほしい、
何者かになりたい、というのは
若者だけに限らず
今後の人生におおよその予測がつけられない
人たちにおいて、当たり前の感情になった。

だから、それが投影された作品も増える。

けれど、「何者かになりたい」というほど
大袈裟な話じゃなくて、
ただ“今のわたしはなんか違う気がするだけ”
そんな率直な感情も丁寧に受け止めたい。
人の感情も、自分の感情も、等しく。

「君自身の人生を納得いくように戦ってください」
Red / 島本理生

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