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【看取り日記06】亡くなる前日〜当日まで

今回の内容:亡くなる前日〜当日まで

56歳の母を30歳で看取りました。
発見した時には末期がん、2年前からはじまった延命治療。
2023年8月中旬に緊急手術、余命宣告。

手術から看取りまで約3週間の出来事をまとめています。

看取り日記01▼

前回のお話▼


亡くなる前日 お昼から

坐薬を入れてから母は落ち着きました。
ただ、もう意識はなかったのだと思います。
ただ寝続ける形になりました。

早朝から来てくださった訪問介護さんには帰っていただき、伯母も仕事へ出かけました。
すごく穏やかな時間が流れました。

いつも言われる「たまちゃん起こして」「横にして」などの声掛けがなくなったので私も横でゆっくりとテレワークをすることができました。
このとき思ったことは死期が近いとすることがなくなるは本当だ。

母はずっと氷しか食べておらず、尿も腎ろうを行っているのでカテーテルでバッグへと排出されております。
そのため介護中のおむつの汚れはほぼなく、最初の方はトイレにも行けていたのでおむつ替えの介助はあまりありませんでした。

ところが亡くなる前日から膨大な緑の便(というより液体?)が出るようになりました。
アンペックを入れるにあたり、訪問介護さんに1度便など掻き出してもらっています。
その際もすごい液状のものが出たのですが、
ま、まだ出るのか…!という驚きがありました。
お昼に出してもらって、その日の夕方にはオムツの中が海になってました。

一応訪問介護さんに電話して(血圧がとても下がってるからという説明があり、おむつを変えるにあたり体の向きをコロコロ変えても大丈夫か、という確認のため)
「おむつ替えて大丈夫だよ」と指示をいただいたので伯母が帰ってきたら一緒に変えることにしました。
(とてもあの状態からベットを汚さず一人で替えられる自信がなかったからです)

伯母が帰ってきて汗をかきながらおむつを変えて、晩御飯をゆっくり食べました。
母の介護ベットは居間にあるので仕事中もご飯中もずっと一緒です。
母に話しかけながらご飯を食べました。

母は左目が少しあいて、涙が出ていました。
伯母は「悲しいのかな〜」と言ってましたが私は「目が渇いちゃう!」と言いながら何度も目を撫でていました。
筋肉が緩んでいたのでしょうね〜。

亡くなる当日

朝、母の様子を見ると、またおむつが!!!大洪水!!
伯母の出勤も近かったのですが、こりゃだめだ!となり朝から一生懸命対処しました。
昨日の夕方に比べると処理が速くなって「ママ〜!おむつ替えるの上手くなってきたよ!任せてね」と声をかけていました。

訪問介護さん来る日程ではなかったのですが、気になってきてくださいました。
おむつの話したら「そのままにしてくれれば私がやったのに!」とおっしゃてくれて「じゃあ次はお願いします〜」なんて話をしながら母のケアをしてくれました。
清拭や口の中を湿らせたりです。
その際に再度話があり
・血圧はもう測れない
・この血圧でまだ生きているのが不思議なくらい
・足を高く上げてるからいいのかもね
→母は足を高くするのが好きだったので柔らかいクッションを入れてた
などとお話しがありました。
・あと数日だろう
なんとなく感じてたので冷静に聞けましたが、やっぱ悲しいですよね。

下顎呼吸があっても苦しくないからね。とも説明をもらっていました。
祖父が亡くなった時のぼんやりと記憶があったので理解はしていました。


この日は休みで、母の隣でゆっくりし、伯母が帰ってきてご飯を食べる。また落ち着いた時間が流れていました。

その夜も交代制で母のそばにおりソファーで眠る準備をしていました。
TVを点け、なんとなく、ぼんやりと母を見ていたら大きく息を吸いました。
そして2023年9月3日(日)21:28母の呼吸が止まりました。

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