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【自分語り】【随筆】常にダブルバインド

 演じて生きてきた。

 資本主義は嫌いだけど、自分の最低限の尊厳を守るため新自由主義が決めたモラハラルールに合わせて生きてきた。

 メンヘラやハンデキャップを持っている人に優しくしてあげたいけど、自分の人生を壊したくないから突き放してきた。期待させないようにしてきた。でもそうしたら協調性が低いだとか共感性がないだとか言われるようになった。

 集団が非効率な方向に進もうとしていることに気がついているのにあえて流されることがある。自分の集団での地位を守るために。

 鬼滅の刃はあまり好きじゃない自分がいるけれど、教養とおもって仕方なくアニメを見た。

 自分の弱さを自覚しているけれど、男は強がっていないと男女共に尊厳を傷つけてくる言動を取られることに気がついて少し強がるようにしてきた。

 自信がなくてもプロジェクトを前に進めるためにブラフを張る。

 渋谷のど真ん中に家を持っている友人もいれば明日食う飯にも困っている友人もいる。なに食わぬ顔で金銭感覚は集団ごとにギアを入れ替えている。

 東大の友人もいれば祖母は小学校卒なわけで、ことば使いはいつもレベル感を調整している。

 気を使いすぎると、それはそれで顰蹙を買うので、適度に気を使わないようにしている。……という気の使い方をしている。


私の親はあまり親がいい親ではなかった。だから敵が3つある。

ひとつめ、親。他人の尊厳を尊重できない。

ふたつめ、ちゃんと生き方を教えてもらえなかった弱いおれ。

みっつめ、尊厳を尊重しようと思ってもちゃんと受け取ってくれないどころか、優しくすればするほどナメくさってくる社会。

トリレンマだ。毒親の子は忌み子にしかなれないのか。


みんなに対して優しくありたい。功利主義的に全体の利益を最大化したい。

でも、人間社会ではそれをやると自分の首を締めるだけだ。ナメられる。

女性からモテたければいちいち「自分にだけ特に優しい男性」を演じる必要が出てくる。調整が難しい。

頂き女子りりちゃんは言っていた、「共感性の高い弱そうな男がカモだ」と。これが真理だ。共感する努力をするような人間は弱く見えるし、カモなのだ。


どんな生き方をしても許されてこなかった。

なんでみんな好き勝手生きてるのにおれだけ許されていないのか。(いや、なにか自分のどこか根本に問題があることは状況証拠的に明らかだ。)

これだけ気を使っているのになぜ、何も考えていない人たちより人格的に劣るとされてしまうのか。

肩肘張らずに生きたいだけなのだ。助けてくれ。

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