見出し画像

ポップな海外移住は全然ポップじゃない

(この記事は全文無料で読めます)

2023年11月に日本からカナダのバンクーバーにポップに移住しました。移住、と書くとすごく大きなことに感じますが、テンション的には東京から地方に移る、「引っ越す」みたいな感覚でした。約4ヶ月が経って今感じること、というか全然ポップじゃなかったぜ!!!ということをつらつらと書きます。

なお、書いて気づきましたが、ポップじゃない話はSTEP4なので、適宜読み流してくださいませ。また、現地就活のもっと具体的な話は別記事にしようと思うので、具体に興味がある人には違うかもという前置きをしておきます。

ポップな海外移住(イメージ)

ポップな移住とは

日本が嫌いになったわけでもカナダがずっと好きすぎてたまらなわかったわけではありません。日本にも30年住んだので、他の場所にも住んでみたい、選択肢を増やしたいという感じでした。妻とは数年前から話はしていて、色々なタイミングが重なって具体化したという感じでした。

個人的な事情でカナダのバンクーバーへ移住します。あまり込みいった事情もなく、日本も30年近く暮らしてきたので違う生活もやってみようというポップな感じです。仕事も特に決まってないので、空白からのスタートです。

https://product.10x.co.jp/entry/2023/10/26/193622

仕事やお金のあてがない中で移住を決めた、大それた目標もない、ということで「ポップな移住」と自分の中では呼んでいます。あったのは、なけなしの貯金と少しの副業収入で何ヶ月生きれるか(=ランウェイ)が算出されたスプレッドシートと、数年とりあえず生き抜くというテーマのみです。

海外に住むとなると言語よりも立ちはだかるのはビザ(在留許可証)です。私の場合は、妻が現地の学校に行くと決めたので、Spouse Visaという学生の配偶者ビザを割とスムーズに取ることができました。妻が学生である2年間は制約なしに労働することができます(労働しなくてもよい)。

ちなみに1月末に突然カナダでビザのルールが変わり(ビザのルールが変わること自体はよくあること)、私がとったビザはもう取れなくなりました。引っ越すのが2-3ヶ月遅れたら取れなかったので運が良かったです。

Day 1

STEP 1/4: 余裕

引っ越してきて1ヶ月目の所感は、意外といけるなという所感。

英語圏に1年以上住むのははじめての経験なのですが、英語で仕事していた期間も長いのと、海外に住んだ経験は何度かある(2-6ヶ月の滞在を5回くらい)ので言語の壁はありませんでした。なので、こちらでの諸々の手続き(住民登録とか、銀行口座開設とか)は最初の1-2週でスムーズに進み、近所の開拓をしてどこにスーパーがあるとかドラッグストアがあるとかも把握して、生活のインフラは1ヶ月も経たずに固まりました。住居があって飯を調達して食って寝れば「生きて」いくことはできるし、言語の壁があったとしても、住居や食事の調達はこちらがお金を払う側なのでまあなんとかはなるんだろうなと感じました。

こちらで仕事を探すかどうかも決めてなかったので、1ヶ月目は、研究という名目でこちらのビール(念願の北米のIPA)を毎日飲みながら、サッカーのプレミアリーグを見てソファで白目むいて寝てました。妻には白い目で見られていました。


研究の日々。個人的な推しはBrassneck Brewery

STEP 2/4: 運動

バンクーバーはとても健康意識の高い街です。近所を散歩したり街を歩けば、走ってる人が無限にいます。lululemonもバンクーバー発祥です。なので、自ずと自分も運動しようかなという気になりやすいし、運動・スポーツを一緒にするためのコミュニティもとても見つけやすい。

仕事を探すことは決めてませんでしたが、なぜか2022年W杯にインスパイアされ、「次の北米W杯に向けて整えていきます」と宣言してこっちでサッカーチームを探すことだけは決めていました。バンクーバーはそこそこ大きい都市(といっても東京の1/10の300万人)ですが、自然が近いのが圧倒的メリットで、芝生のサッカーコートが至る所にあります。結構ちゃんとしたアマチュアのリーグがあり、仕事より先に所属するサッカーチームは無事決まり、まずはマイルストーン達成です。

ちなみにサッカーについては「下手の横好き」という言葉がぴったり似合うヘタクソです。サッカーほぼやったことない野球青年の友人にも「全然サッカーっぽい動きしてへんな」と言われる始末です。まあでも勝手に好きでやってるので良いのです。こっちのリーグは結構ちゃんとしていて、1-4部まであり、私のいる3部でもチームによっては監督やコーチもいます。チームもホイホイ入れるわけではなく、募集の枠があり、かつテストのような感じで練習とかに合流してみてお互い判断して入団が決まる感じです。普通に1個落ちました(就活みたいですね)。結局入ったチームは、人が足りなすぎて「まァ日本人だしいけるやろ」(注: バンクーバーにはワーホリや語学留学できている20代の日本人が結構多く、私と違ってサッカーうまい青年たちが多い)ということで滑りこみました。

これで毎週末サッカーの試合が(90分)ある生活になりました。加えて日本でもやってたクロスフィットという、60分めっちゃ運動するというジムをこちらでも継続することになりました。それが週3、あとランニングのコミュニティに入り、平均すると毎日くらい運動する生活になりました。運動が生活のコアな一部になったので、伸ばしてた髪も切ってほぼ坊主になりました。4ヶ月で体重4-5kg、体脂肪は4-5%減りました。

そんなことある?

STEP 3/4: お金

日本の仕事は辞めて来て、かつこちらの仕事のあてはありませんでしたが、1つ業務委託の仕事を受けていました。上記で「少しの副業収入」と書いていた部分です。ただ100%のうちの半分も稼働してないくらいなので、毎月のキャッシュフローはマイナスです。ということでキャッシュを燃やしながら生きていたのですが、ビールを飲んでサッカーをしているところを見つけて「お前暇やろ」(意訳)と温かい声を書けてくれた友人経由で、他にも2つ仕事をすることになりました。 いずれもパートタイムです。

率直に言ってこれまでの10年日本で正社員として生きてきて、独立します!と意気込んだわけでもなく、「あ、確かに仕事辞めてこっち来て仕事受けたらフリーランス(独立?)っすね・・」と結果論でマヌケな感じで着陸したフリーランス生活は、色々と新鮮で学びがありました。業務をこなしつつ、案件をとる/継続するという大変さと、税金についての学びが深まりました。

そんなこんなで、マイナスだったキャッシュフロー想定はゼロになり、そしてプラスになりました。単発の通訳の仕事もあったりで、瞬間風速としては会社員時代の収入を超えたこともありました。「生き抜く」というテーマに立ち返ると、ゼロまたはプラスを維持すること自体は必須ではありませんでしたが、キャッシュフローがマイナスでないという事実は、異国で生活する上で精神衛生上ヘルシーだったなと感じます。

稼働はGoogleカレンダーにprefix記録 --> スプレッドシートにGASで吐き出して集計

STEP 4/4: 現地就活

ここまでは比較的ポップ(?)でしたがポップでないのはここからです。

仕事のあてはなかったものの、現地で就職するというのは選択肢の一つでした。実際、来てからの1ヶ月目も、いわゆる北米やカナダの有名企業に気軽な気持ちで応募をしていたこともありました(返事はナシ)。

前述のように、運動が生活のコアな一部になってルーティンができて、サッカーチーム・ジム・ランニングコミュニティなど、現地の人と交流するベースも一定できてきました。何人か仲の良い友達もできました。かつ、お金のめどもたったことで、「生き抜く」という意味ではできているのかなァと自己認識ができる状態にもなりました。ただ、なんとなく不足感を感じている自分はいました。

東京で働いていた10年で4社経験をしましたが、大学や近所の友人に加えて、仕事を通した友人というのは自分の中で結構大きい存在だったなァと感じます。最初に入った外資系のコンサルの会社でも、「4年間で一番得たものは友人です」という、少年ジャンプみたいなコメントを残し辞めましたが、でも今でもそれはそうだなと感じます。サッカーで(マジで物理的に)巨体たちとぶつかるのもいいけど、こっちで何かの仕事を通してぶつかりあい、そして仲良くなれたりしたらいいなァと思うようになりました。自分の中の「生き抜く」という言葉の中には、その地に入り込みなんかインパクト残すということが内包されていると感じています。妻はそれを「爪痕残したい芸人」と呼んでいます。確かに、コンサルのボストン本社で働いていたときも、ヒーヒー言いながら働いた半年の任期が終わった頃、ロジックやエクセルについての称賛は特にありませんでしたが「You are a party animal」と餞別の言葉を言いに来てくれた同僚がいて、爪痕残せたなと謎の達成感を感じた記憶があります。

party animal時代の痕跡

ということで、こっちでの現地就活に真剣に取り組むことになりました。なお、私のキャリアはコンサル/経企/ファイナンスが混在してますが、こっちでは「色々できます」に価値はないので、結局ファイナンス職を軸に探しました。

詳細を書くと長いのでまた別記事にしようと思うのですが、いやー、率直に言ってめちゃくちゃ大変だった。想像の50xくらい大変だった。当然といえば当然かもしれませんが、異国の地でなにか職を得るというのは簡単なことではないんだなと思い知りました。

一般的に、異国(=永住権を持ってない国)で仕事を得るには3つのハードルがあるといいます。ビザ、言語、そしてスキルや経験です。このうち、自分はビザはあったし言語も問題ない、スキルや経験もそのまま変換はできないとしてもなんか活きるやろ、と楽観的に考えてました。アメリカは競争激しそうだけどカナダはなんとかなるやろという謎の思い違いもありました。

2ヶ月半で60社に応募しました。 応募というのはポチっと押して終わりとか履歴書送って終わりではなく、会社と募集要綱(Job description)に合わせてレジュメのチューニング、及びカバーレターという、御社最高!私も最高!選んでくれたらお互いハッピー!というラブレターのようなものを書かねばなりません。会社のリサーチも含め、1社あたり2時間くらいはゆうにかかります。加えて、こちらでは「ネットワーキング」と言って、応募した会社や興味のある会社の人と(主にLinkedInで)繋がることが重要だと言われます。私は元来社交的な方だと思ってますが、正直この「ネットワーキング」が楽しいかと言われると別に楽しくはありません。「こんにちは!あなたの会社/ポジションに興味があるのだけど、15分で良いのでお話させてもらえませんか!」というのをLinkedInに課金して様々な方々へ送ったり、セミナー/イベントに顔を出したりします。応募して(機械の自動送信の)お祈りメールに加えて、ネットワーキングも色々な人にメッセージ送るけどあんま返ってこない(肌感10-20%くらい)というのを繰り返すのは結構体に応えます。

現地の学校やMBA等に行っていると、その卒業生や学校経由のイベント等があったりするのかもしれませんが、私はあんまなんも考えず来てしまったので、これらのヒットレートは低かったんだろうなと感じます。人と話すというのをKPIにして、2ヶ月半で30回は話しました。

30分人と話しに、雪山ウィスラーに往復4時間バス乗ったことも(面接に繋がった)

この「ネットワーキング」やらを通さないと、そもそも一次面接(オンラインの30分のもの)に呼ばれることもありません。60社出して面接に呼ばれたのは3件。うち2件はこの「ネットワーキング」によりうまく採用担当まで繋がったので、レジュメやカバーレターが効いてるのかはよくわかりません。素で応募して面接に呼ばれたのは1件のみ、1/60件です。レジュメやカバーレターの作成に向けて色々なツールに課金もしてみたのですが、いかんせん面接以降に繋がってる母数が少ないんであんまり効いたのかもよくわかりません(紹介自体は別記事でしようと思います)。

転職エージェントの活用も考えました。日本に居たときはエージェントから連絡が来ることも多かったし、自身も2/3社はエージェント経由で転職したので、早い段階で連絡してみましたが、「OK!なんかあったら言うわな!」とあんま相手にしてもらえんというのが実態でした。候補者としての相対的に魅力度が低いので、彼らとしてもリソースを割く価値がないという合理的な判断かなと思います。

幸い、1次面接に呼んでくれた会社と7回の面接を経てオファーをもらうことができました。正直応募した中で1番面白そうと思っていた仕事なので、運が良かったなと思います。アメリカ本社のバンクーバー支社で働くので、アメリカという母体(機会の総量は総じて圧倒的にカナダより多い)があり、今住んでいるバンクーバーの労働環境も経験できるので楽しみです。

実は北米といってもカナダはアメリカより給与水準が低く(3-4割減)、そんなに日本と比べていいわけでもないという所感です。今は為替が円安なので、円換算すると高めに見えますが、日本より生活コストも高い(2-5割増)のでコスパは悪いです。私はとりあえず(現地の会社に)入ったらその後成果出せばなんとかなるやろと思い、もはや給与はなんでもよい、最後の方はインターンにも応募していたくらいですが、結果的に待遇面も満足なオファーをもらうことができました。こうして2ヶ月半(厳密には76日)の現地就活が幕を閉じました。

所感

今は幕を閉じたことにホッとしています。前述のようにそもそも返事が来ないので試行錯誤しようにもフィードバックが来ないというのもしんどいし、無数のrejection(お見送り)が重なります。こちらはポジションをオープンすると文字通り数百件〜千件以上、北米外からも含めて応募がきます。ATS(Applicant Tracking System)というシステムで自動判断されることが多いらしい(実際のところはワカラン)ので、時間をかけて準備したレジュメやカバーレターが人間の目に見られているのかもわかりません。我が家では「ATS」は今一番嫌われている言葉です。ATSを通過するためのレジュメやカバーレターの改善をしますというツールも沢山あります(いくつか課金しました)。

異国の地での就活ということの大変さはもちろんですが、今の景気の影響も少なくないと感じます。こちらにいるカナダ人でもレイオフとか、半年ずっと仕事なかった、等の話を聞くことはよくあります。景気というものを肌で感じることは多いです。

3つの仕事をしつつ累計200時間くらい就活に費やしましたが、率直にこの時間の8割くらいは不毛だなと感じます。応募までの2時間前後費やしているものの、人間が見ているかもわからないし、しかも一つのポジションに数百人応募していることもザラなので、仮に300人が1時間ずつかけてると、一つのポジションのオープンに対して300時間が費やされ、面接に呼ばれるのが1割とすると300 x 90% = 270時間が無駄になっています。270時間あったら大切な友人と話すとか、ボランティアとかゴミ拾いとか、もっと世の中にためになることが色々あるんじゃないかと思います。このへんのマッチングをなんかよくできないかというのは、興味のあるテーマです。

ただ個人的な体験として、2割の中では、この就活というプロセスに身を投じたからこそ出会った・話せた人もいます。200時間かけなくてもできると思うけど、レジュメとかネットワーキングとか、総合戦闘力も上がったかなと感じます。そしてアドバイス、紹介、面接練習、オファー手前のリファレンスチェック等々、、30名はゆうに超える本当にたくさんの人に助けてもらいました。個別にメッセージはしておりますが、マジサンキューの念をこちらに込めておきます。マジサンキュー!

祝い酒。最近桜が咲いてきた

最後に

就活真っ最中のときに「いやーー思ったより大変やなコレ!」と話していたら、「でも大変なことはちょっと調べたらわかったよね」と至極全うなコメントをもらい、たしかにほんとに何も考えずにポップに来てしまったなァとひとりごちていました。

ですが、無理やりいえば、なにも考えずに来てよかったなとも思います。日本から100件応募して1件も引っかからない状態できたら、それでも来たと思うけど、もうちょい来たときのテンションが低かったんじゃないかと思う。ということで、ポップにおすすめするものではありませんが、興味やパッションあることはとりあえずやるといいんじゃないかなと、無責任に思っています。

冬は一生雨が降っているバンクーバー、鬱になる人も多いと聞く中で、気持ちの上下もありつつ波の振れ幅をおさえて淡々と(基本楽しく)過ごせたのは、家での何気ない会話のキャッチボール、運動、そして散歩の賜物かなと思います。特に毎週状況が変化する(=変数が多い)ときには、外的要因が少なく自分でコントロールできるランニングや散歩といった活動の良さは改めて感じました。

私もまずは試用期間を乗り越えるところからですが、頑張りたいと思います。

第二章: 北米のテックで働くudonもよろしくだぜ!



※ここまでが本文になります。全文無料で公開していますが、投げ銭的に購入はwelcomeです。一応下記に就職活動のサマリ(応募した会社の内訳やリソース投下等)の記録のスクショを貼っておきます。
価格は日本の釜揚げうどんの価格を参考にしています(カナダでは約2倍)。


ここから先は

25字 / 1画像

¥ 290

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?