言語思考者と視覚思考者

お気に入りのYoutubeチャンネル『ゆる言語学ラジオ』の雑談回で、ビュジュアルシンカーという特性についての話題を見た。
人生で長らくもやもやしていたものが、一気に言語化されたようで気持ちよかったので、感想がてら自分の考えを書いていく。

脳内で物事を考えるとき、「言語」で思考する人と、「図」や「絵」で思考する人がいる。
テレビで紹介されたからか、「左脳的」とか「右脳的」のように結構前から言われていたと思う。
実際に左脳なのか右脳なのかはわからないが、思考するときに活発になる脳の部位というのは人によって違うらしい。

自分は間違いなく言語思考者だと思う。
人との会話で、必ずと言っていいほど正確な言語化を求めてしまう。

以前に人との会話で、
「あのアニメは全体的には面白いが、○○なところが自分には微妙に感じた」
という話をしたところ、
「あのアニメは面白かった、で良いんじゃない?」
と言われたことがあった。

会話相手が別に言語思考者ではないとかそういう話ではなく、自分の中では「面白かった」という感想のみで完結する作品ではないのだから、説明させてくれという気持ちを感じたという話。
正確な言語化ができない話はどうにも気持ち悪い。
もちろん、自分も何でもかんでも一瞬で頭の中で言語化できるわけでもなく、喋っているうちに段々と思考が言葉になっていることが多い。
むしろ、会話というのは自分と相手の間で思考を言葉にし続けることで、より正確な言語化を成すための手段だと思う。

人によっては、「面白い」「面白くない」の2つでアニメを評価すれば良くて、それより詳細な評価は必要ではないと考える人もいる。
必要ではないというだけで、完全に不要と考えているわけではないと思うけど。


言語思考にも度合いはあると思うので、自分が言語思考に極端に偏っているというわけではないと思う。
能力の優劣という話に繋げれば、決して自分は文章力があるわけでもないし、物書きをするための特別な訓練をしたこともない。
個人的には、「読解力は人並み」「文章力も人並み」という程度の感覚だが、多分実力としては中の上くらいに収まるのだと思う。
自分に出来ることが世間一般の人に出来ないことだというのは体感しづらい話なので、本当に感覚としては自分の能力は中の中だと思うのだけど、自分の思っているより日本人の読解力や文章力の平均は低いらしいので。


小学校や中学校の教科で言えば、国語の点数は微妙だった。
何故かと言えば、漢字が苦手だったから。
小学校の頃から不真面目で宿題というものが苦手で、漢字ドリルとかいうひたすら漢字を書き続ける課題なんかは一番嫌いだった。
中学校では一時期不登校になっていたのでそもそも学習自体まともにしていない時期の習得漢字は欠落している。
人と話しているときに、地理や歴史系の授業のエピソードが出てくると、「習った覚えが全くない」みたいな感想が出てくることがあるが、忘れただけのケースもあれば、本当に習っていない可能性もあるのだ。

ただ、国語の文章を読んでから回答を求めるタイプの問題は得意だった。
当時は普通に解けば分かるだろうとしか思えなくて、間違えてしまう人の気持ちが理解できなかった。
むしろ、自分が回答を間違えるときは、「設問が曖昧で2つ以上の意味でとれてしまう可能性がある」と個人的には感じるほど、自分の読解力に自信があった。

学校の成績が悪い劣等生なりに、当時は自分には才能があるんだと信じたいと思ったのであって、今思えば別に特段読解力に優れていたわけではないと思う。
ただ昔から、話の正確さにこだわって、曖昧な結論が嫌いだったのは変わらない。


普段、考え事をすることがかなり多い。
思考のきっかけはなんでもないようなことだけど、自分の考えに否定的な意見すらも自分で考えて討論を始める。
あまりに深く考えているときは思考の中で別の話題に飛んでしまって、繰り返すうちに「最初何考えてたんだっけ?」となるくらい。

意見をぶつけ合って正確な結論、正確な言語化を求めるプロセスをひたすらに頭の中で繰り返しているので、他者に対してもそれを要求してしまう。
ネットミームに「何が好きかで自分を語れよ」というセリフがあるが(ルフィではない人が言ったやつ)、もっと言えば「何がどういう理由で好きなのかで自分を語れよ」と思う。

作品の魅力を語るときは、どういうところに惹かれるのか、他の似たようなタイプの作品との差や、同様に魅力的だと感じる他の作品の話をしたい。
作品に限らず、「あの芸能人が嫌いなんだよね」という話題も、「生理的に無理」みたいな直感的な感想はあまり好きじゃなくて、どういう理由で嫌いなのかをはっきり確認したくなる。
嫌いな理由を聞くと、その理由に該当する別の芸能人も嫌いなのか確認したくなる。
そうではないと言われると、その差は何なのか確認したくなる。
こういうサガが自分にはあるのだと思う。

「○○って芸能人嫌いなんだよね」
「へえ、なんで嫌いなの?」
「△△なところが嫌い」
「□□って人も△△らしいけど、同じように嫌いなの?」
「□□は別に嫌いじゃない、△△にもいろいろ種類があると思う」
「へえ、○○と□□の△△には例えばどんな違いがある?」
・・・

とにかく聞きたい。確認したい。
自分の中では○○と□□の差を脳内で言語化できているので(逆に差がないときもある)、それを相手の考えと擦り合わせたい。
自分の脳内にない情報を相手が言ってくれると、楽しくて脳汁が出る。

noteにも度々書いていることだけど、アニメ・マンガ・ゲーム・映画、なんでもいいから作品を摂取しているとき、一番評価が高くなる基準は「自分の中にない考えが出てきたとき」。
想像もしていなかった、予想もしていなかった、考えたことがなかった、そういうもの。


そういう会話が好きじゃない人も世の中にいるのはわかってる。
わかっているが、自分の性質であって、我慢できないことが多々ある。
我慢できないのは自分の悪いところだというのも重々承知している。
ただ、周りの人にわかってほしいのは、決して自分は相手を言いくるめたいとか、自分の考えを押し付けたいという感情で会話をしているのではない。
自分の考えと相手の考えの差を確認して、自分の考えをブラッシュアップしたいし、相手にも考えをブラッシュアップしてもらえたら良いと考えている。

言語化を不得手とする人も世の中にはいっぱいいるんだろうから、これは僕のエゴであり押し付けでしかないけども。
それに、論理的な矛盾点を突くような会話は、どうにも「攻撃されている」「馬鹿にされている」と感じる人もいるようだ。
「あなたの主張した論理にはこういう矛盾点があるので、もっと正確な論理があるのではないか?」という確認がしたいだけだが、それを優しい言葉でオブラートに包んで言うことがどうにも難しいっぽい。

言わなければ良い、というのはごもっとも。
でも誰かのとの会話というのは、ただ共感し合うよりも、お互いの考えをすり合わせることの方がよっぽど楽しいと思うんだよな。

そういうのが好きな人と会話すれば良い、というのはその通り。
なるべくそうしたい。


言語化の得手不得手について書いたけど、「ゆる言語学ラジオ」の内容にもある通り、言語化が不得手だから能力が低い人、というわけではない。
人間にいろいろあるパラメータの中で、言語化の部分が低いのであって、他の能力に優れている可能性がある。
言語化能力=思考能力というわけでもなさそうで、実際細かい話は僕にはわからないけども、冒頭に書いたように言語思考が苦手な人は、視覚的な思考能力へが得意な可能性がある。


久々にnoteを更新した。
内容を推敲しているとまた投稿するモチベが薄れてしまうので勢いのまま公開することにする。
下書きばかりが溜まって一向に公開しないnote。。。
言語化が好きなので書いていればそれはそれで相応に楽しいのだけど、、、やっぱり人に読んでもらうのも楽しいし嬉しいのでなるべくなら公開していきたい。

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