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多様な社会で育まれた価値観、変わったこと、変わっていないこと

いつも読んで頂きありがとうございます。
Amuletの迫頭です。

今日は子どもたちとのコミュニケーションから気づいたこと、それについて思ったこと、感じたことを書きます。

最近は在宅ワークがメインで自宅にいることが多く、息子・娘の行動を目にする機会が格段に増えました。
二人とも小学校から帰ってくると、アレクサで音楽をかけて、TVでYouTubeを見る。現代ではありふれた光景かもしれませんね。

ふと、今どんなコンテンツが流行っているのかが気になったので聞いてみたのですが、

「流行りって何?」と言われました、、

これには正直、めちゃくちゃ驚かされました。
今は「流行り」という言葉自体、あんまり使わないんですね、、

それも確かに頷ける理由がありました。
時々子どもの友達が遊びにくるので何が好きかを聞いてみると、これがまたバラバラなんですよね。
共通項といえば、Switchのスプラトゥーン、マイクラ、音楽でいえばボカロくらい。
そう考えると改めて任天堂ってすげーなと思います。
ちょっと話がそれましたがw

私がヒアリングした対象エリアが小さいので、信憑性はあんまりかもしれませんが、少なくとも私の周囲では、それぞれに好きなもの、ハマってるものが存在していました。
これだけ多様だと、「流行り」って言葉があまり使われないのも納得できます。

それに、私たちの世代と比べると、YouTubeやアレクサにある無数のコンテンツが存在していることで、
選択肢が広がり趣味嗜好の幅が格段に違っています。

みんな各々に好きなものがあって、素敵な時代になったと感じました。

少し話は変わりますが、私自身、出社頻度は少ないながらも時々電車に乗って会社に向かいます。
そんな中で利用する電車では、今まで気にも留めなかったようなものにも興味をそそられます。
電車の広告減ったな〜とか、年配の方でもアップルウォッチ付けてるな〜とか。
そんな中、スーツ姿の就活生を見て、すごく違和感を覚えました。

「なぜみんなが同じような格好で就職活動をしなければならないのだろう?」と。

時々X(旧Twitter)で、リクルートスーツ不要論が話題になっていたりしますが、私も同意見で、まさに時代が変わってきている現代にそぐわないように思うのです。

先ほどご紹介した私の子供たちや、その友達のように、みんな好みがバラバラで、社会では多様性という言葉がさまざまなところで叫ばれる中、
未だに社会への入り口を画一的にする意味って、なにがあるんだろうって考えてしまいます。

社会人のユニフォーム。学生から社会人への変化。社会への入り口である就活だから、
今までとの変化も含めてスーツというのもわかります。

しかし、選考でスーツを着てもらう必要が本当にあるのでしょうか?

リクルートスーツにも着こなしがあるでしょうし、個性が見えなくなるわけではありませんが、
私服の方がより多くの「人となり」が現れると思いませんか?

私は家が貧乏だったので、できたら無駄な出費をしたくないなと思ったことも、この話に行き着いた理由かもしれません。

刻一刻と変わる時代。古き良きモノや、ちゃんと理由が語れるモノは残したらいいと思います。
でも、昔からこうだったからというような時代にそぐわないしきたりやルールは、アップデートしてもっと多様になってもいいんじゃないかと思っての提言でした。

また来週お目にかかりたく思います。

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