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下駄、喜んでもらえて嬉しくて、ちょっと緊張して

 何に人が喜んでくれるかはわからない、とつくづく思った。同時に、私は人が喜んでくれると少し緊張する、ということも改めて確認することになった。それは私が図書館に向かってコトコト歩いているときだった。後ろから通り過ぎようとしていた自転車が止まって、「懐かしいわぁ」と見知らぬマダムの声がかかった。マダムは自転車を降りて私の足元を見ている。「下駄、懐かしいわぁ」。突然だったが、自然な声かけにアビエーターをかけたままの私は落ち着いて「あぁ、」と答えた。続けてマダムは「嬉しいわぁ、なんか懐かしなって」。私にとっては、ただ下駄を履いて歩いていただけだったが、喜んでもらえたことが嬉しくて「ありがとうございます」。と答えた。マダムは相当、喜んでくれているようで、「いやぁ、ごめんね、いきなり。そやけど、懐かしいて、嬉しいわぁ。昔から良う下駄で歩いてはるん?」。私が履いているのは駒下駄と呼ばれる、足の裏を置く部分が平になっていて2枚の歯がついた古典的な下駄だ。高校生の頃から履いているのは履いていて、ほとんどがお祭りのときだったが、東京で1人暮らしをしていたときも夏になるとサンダル代わりに履くことはあったり、今年は平均すると2週間に1回は履いているはずだから、”良う下駄で歩いている”とも言える。しかし、そのまま「はい」という程度ではないような気がした。かといって、そんな長い説明をするのも違うように思えた。1周回って口から出た答えが、「今年は3足買いました」だった。

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