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海外旅行での羽織と私の気後れ

 3月の末から5月の初めまでだった北米、ヨーロッパの旅にはコートとして父の羽織を持っていった。当時、和服を着ることに凝っていたことと、羽織を着て欧米を歩けば、少しでも通りすがりの人々に喜んでもらえるんじゃなかろうか?というのが、羽織を着て行った主な理由であった。が、結局は自分で周りの反応を確かめるというよりも、一緒に旅をしてくれた友人やいとこが人々からの反応を確かめてくれていた。1人はニューヨークで、もう1人はトロントで。2人ともがそれぞれに「あっちゃん、やっぱりたくさんの人が、羽織をみてニコってしてくれているよ」と同じセリフを言ってくれたのであった。私はといえば、周りの反応を楽しみにしていたのにもかかわらず、一歩、街に出ると何となく人からジロジロと見られているような気がして、なるべく人と目を合わさないように歩いていたのだ。その代わりすれ違いざまに人々が投げかけてくれる「いいね」の目配せを横で歩いてくれていた友人やいとこが受け取ってくれていたのである。そういえば以前にも似たようなことがあった。かつて髪型をロングヘアーからベリーショートに変えたことがあった。始めはみんなの反応を楽しみにしていたのに、あまりにも人から声をかけられると終いには誰にも見つからないよう隅っこの方で小さくなっていた。ちょっと目立ちたいのにもかかわらず、そのくせ、想像以上に反応があると、どこか気後れしてしまうようである。

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