帰国子女で英語強者はラッキーなんかじゃない
IELTSのスピーキングのあの小さな個室
友達や先生から問われた質問が全くわからないときのあの微妙な空気
希望していた会社の要件はTOEIC800点以上、それ未満は応募さえもさせてもらえない
自分が帰国子女だったら、と今までどれだけ考えたか
センターで点数が叩けても、話せて“使える”英語でないと意味がない。
特に大学生になってからというもの、様々なバックグラウンドを持った友達に出会うたび、羨やむ反面、今まで何をしていたんだろうと自己嫌悪に陥る自分が嫌になった。
先日、SNSでひろってきた記事を読み漁っていたとき、
帰国子女だから「英語強者」だけど、英語はいつまでも「最大の敵」
というタイトルの記事を見つけました。
英語強者の友達を“ただ羨んでいた”自分を改めさせる記事だったので、この機会にわたしの所感をまとめます。
1 英語強者になるために
英語は勝手に身につくわけじゃない。
この記事の筆者は、中学1年生の時から海外のインターナショナルスクールに通い始めた。もちろん英語を一から勉強するためにマンツーマンでESLに通うことになる。
周りの友達が楽しそうに次の授業の移動をするなか、自分一人だけ憂鬱なマンツーマン授業に行かなければならない寂しさ。
今まで友達と当たり前にしていたくだらない話ができない悔しさ。
「もしアルファベットを使う国に生まれていたら」と泣きながら辞書を引く日々。
“英語強者”になるために、私たちが知り得ない苦労が重なっている。
2 「永遠の武器」ではない
海外経験があり英語を何不自由なく使うことができれば、日本では“英語強者”という立場に立つことができる。大学生だったら、英語で行われる授業は「楽単」だし、条件の良いインターンシップも英語を生かしてゲットすることができる。
しかし、この記事の筆者の内心は「いつになっても自分の英語に満足しない」という不安でいっぱいだった。それがたとえ、英語で難なく会話できても、TOEFLで結果を残しても、海外の名門大学に合格しても。
どれだけ幼少期に海外経験が長かったとしても、日本に帰ってくれば、努力しない限り日本語しか使わない生活が待っているし、そのとき身につけた英語力は過去の栄光になってしまうかもしれない。
“英語強者”という立場に置かれたということは、英語強者であるために続ける努力という重荷を背負うことになる。
最後に
ある友達が、「将来子供には海外の学校に通わせたいんだよね」「インターナショナルスクールに通わせたいんだよね」と嬉々とした目で語っていた。
その子は帰国子女でも英語強者でもなかったが、もしその場に、私が羨んでいた“英語強者”の友達がいたら、なんと返していただろうか。
お互い日本でまた会う機会があったら、改めて話がしたいと思っている。
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