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『スポットライト 世紀のスクープ』 アカデミー賞、受賞しました。地味ですが、何か文句ある?

by キミシマフミタカ 

 これは地味な映画である。題材は、カトリック教会の神父たちが犯した性犯罪。ボストン・グローブ紙の調査報道のチームが、その秘密を暴いてゆく物語だ。事実に基づいたストーリーで、この映画はアカデミー賞の作品賞、脚本賞などを受賞している。個人的に地味な映画のほうが好ましい。だって、人生なんてそんなものだから。そんな人生にだって、ストーリーが生まれて、ほんの少し、損得勘定のない小さな勇気に心が動いたりする。

 調査報道の定義とは何だろう。チームを組んで、地道にデータを集めて事実を浮かび上がらせていく。日本にもかつてそんな報道があったような気がする。たとえば立花隆が文藝春秋に連載して、田中角栄を退陣に追い込むことになった『田中角栄研究』。でも、そんな優雅な取材の仕方はもはや消えてしまった。出版社にそんな潤沢なお金はないのだ。

 映画の中で、ボストン・グローブ紙のチーム(記者3人に、デスクが1人)は、文字通り小さなファクトを集めて、犯罪をあぶり出していく。妨害にあったり、躊躇があったり、規則の壁があったり、いろいろあるけれど、挫けない。米国おいて、カトリック教会の犯罪を暴くのは、ある意味、それが映画であっても、勇気のいることなのだろう。

 この映画が与えてくれる感情は、チームワークの素晴らしさだ。落ち込んだときは仲間が励まし、違う角度からヒントをくれ、知らないところでデスクが尽力する。ああそれに、ボストン・グローブ紙の新任の編集長も、格好がいい。筋を曲げずに、筋を押し通す。「読まれるような記事を書こうじゃないか」というのがそのベースにある。世のためとか、社会正義とか、そんな大上段から振りかぶっての物言いではない。だから格好いい。

 だがその読まれる記事とは、決して国会議員の不倫の話ではないし、松本人志のテレビの発言でもないし、LGBTや生産性を巡るヒステリックな糾弾記事でもない。派手だから良いという風潮は、いったい何処から来たのだろう。かつてのフジテレビの陰謀だったのか? 地味だけれど、読まれる記事を書こう。それは、失われてしまった桃源郷だ。

 打算的で、チマチマ生きている人たちに囲まれて窒息しそうになったとき、こんな映画を見て、地味だけど元気をもらう。打算的な奴らは、結構、派手好きなのかもしれない。


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